1.03.2015

日本が終わるにおい

動物的な嗅覚で言うならば

日本という国はもうかなり崖っぷちにきていると思う。

なんだかんだ言って、ここ十年ばかりは、日本は大丈夫だった。が、原発事故を境に、どんどん悪化していった。あと数年後に、日本がどうなっているのか、これがまったくわからない。

ひとは未来にビジョンを描く。ビジョンを描くから、30年のローンで家を買う。死後のことを想い、信仰心をもつ。これが人間の能力だ。

ぼくも卒業したら、今と同じような日本という国でなにかしらの仕事をする……ということを頭に描いていた。が、なんだか最近は、そういうビジョンはびりびりに破られて、よくわからない灰色で描かれている。

ぼくは本を選ぶときに単純な嗅覚で選ぶようにしている、本棚のなかで光るものがあったらそれを読む。あるいはブログのだれかが紹介していたような本を、運命的な導きだと感じたら、それを読む。理性というよりは、無意識的な本能にしたがって読むようにしている。

そうすると、まさしく自分が求めているようなことが書かれていて、本能はすげえ!とひとり感服してしまう。

ところで、以前は文学や哲学を読むことが多かったのだが、最近は趣がずいぶん変わってしまった。

ぼくの読む本の内容は、日本という国がどのように動いているのか、日本の方向を決めているのはだれなのか、これから日本がどうなるのか、という比較的ミクロな世界にうつっていった。

これは自分でも意外だった。最初は、むつかしい文学に嫌気がさしたのか思ったが、考えてみると、日本の危機、つまり自分の環境の危機が、より喫緊に迫っているということなのかもしれない。いわば災害にいちはやく気づくねずみや鳥のように、ぼくの本能が警戒している。

だいたい哲学というのは……古代ギリシャや、近代ヨーロッパのような平和な時代につむがれるもので、緊急中には見向きもされなくなるものだと思う。

ぼくはテレビを見ないので、世の中がどのように動いていくか、ブログやネットニュースを読んで判断している。鋭敏なひとはおおむね、ぼくと同種の危機感をもっているようだ。ちょっと日本おかしいぞ?と。いや、いままでもおかしかったが、加速度的に異常さが進んでいる、という。

日本人は、動かない。主体ではない。政治的に無能化されている。だから、お上が何をしようとあずかりしらずだ。原発事故が起きて、こどもたちの甲状腺ガンが増えていても、だれも責任を取らないという国が日本である。賠償金は電気料金にうわのせでも、黙って払うのが日本人である。(あ、すごく腹が立ってきた)

たとえば、「食べて応援」なんてキチガイキャンペーンがあったけれども(外国人は唖然としたらしい。あたりまえだ)、協賛している企業の役員や、政治家、官僚が食べると思うだろうか?自分の嫁や子どもには「そんな危ないもの食べるな」と言っているはずだ。馬鹿な国民になにもかも背負わせようとしている。消費者は豚だからいいんだ。また増えるさ、と。
ぼくの母はいまだに善意で福島県産の干物など送ってくれるので、途方に暮れてしまう。

ブログのひとたちは、こう言っているようである。これからは、きちんといろんなことに気づけるひとだけが生き残って、何も考えずにのらくら生きているひとは絶滅すると。オカルト系のひとは、これが自然淘汰、人類の進化みたいに言っているひともいる。

具体的に日本がどう変化し、どうなるかについてはぼくは言えない。安部ちゃんが独裁政治と話題になっているが、ぼくはそうは思わない。独裁政治だったら、マスコミの役員と食事会する必要なんてないよ。「こうしろ」で済むんだから。実際は寡頭政治だ。限定された支配者層による政治。まあ独裁だと思われた方が、その他大勢のひとびとにとっては都合がいいのだけれども。

最近の異常な金融緩和や法改正は、日本の支配者層が「勝ち逃げ」したいがための政策に見える。沈みゆく船から金品財宝をもって逃げ去るための準備。

結局は未来のことだから、どうなるかはわからない。ただここ最近で空気感がはっきりと変わったように思う。たぶんこう感じているのは、ぼくだけじゃないはず。まあ知ったところでどうにもならないのが悔しいところではある。

ところで、ゴルバチョフはこう言っていた。「ソ連が崩壊したのはチェルノブイリ原発事故のせいだ」と。この状況と、よく似ているのかもしれない。チェルノブイリの事故があってから五年で、ソ連は崩壊した。五年……。


断食礼賛

嗅覚を鍛える方法。いったん全てから離れ、隔絶する。

例えば断食をすると、本当の食べ物の味を知ることができる。断食を数日間行い、スーパーに行くと、商品のほとんどが人間の胃にそぐわない、奇怪な人工物であることがわかる。同じように値札を貼られているから、きらびやかに飾られているから、またCMで美人女優が食べているから、人間は騙されて、そういうものが「美味」で「必要だ」と思い込まされる。

が、飢餓状態に陥った動物は、はっきりと見分けることができる。大衆がこぞって喜ぶような、きらびやかに飾られたケーキや豚の丸焼きは、毒でしかない。

たぶん、断食をしたならば、人間の胃にはお米と、味噌汁、あとは少しの野菜、ときに魚介類。それらがあれば十分であることに気づくだろう。

この断食をいろいろと応用してみるといいかもしれない。理性に対する本能の台頭。いわば、滝に打たれるようなこと、常人が絶対にしないことをしてみる。魂に磨きをかけるということだ。

テレビや新聞のような大味な情報も、いったん廃絶してしまうといいのかも。雲や山のような自然がどれだけ豊かな情報をもっているかを知ることができるだろう。なんか仙人みたいだけど。

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