1.20.2015

労働に向かない人間からのお願い

「――労働に向いた人びとは、労働をしてください。ただ、ぼくのような人間が、無理して労働すると、すぐに身体を壊すし、だいたい、時給八百円分もまともにはたらけませんで、現場を撹乱するだけなのです。職場にいる迷惑そのもの、『使えない人』がぼくなのです。

いいですか、みなさんのカンパでぼくにお金をください。ぼくはみなさんが労働に勤しむ間に読書して、知識をたくわえて、的確なアドバイスをしてあげます。

たとえばみなさんが人生に悩んで、どうにもならなくなったときは、ぼくが人生相談を引きうけます。君の不幸の根源は、お国の教育が悪かったのか、でたらめの宗教が悪かったのか、友人が悪いのか、そういったことを、ぼくが話を聞いて判断してあげます。するとあなたは、明日も労働にはげむことができるのです。もちろん、お代はいただきませんよ。

『はたらかざる者食うべからず』と言いますね。この言葉をぼくに向けないでくださいね。ぼくは知っているのです。この言葉はね、資本家に向けた言葉なのですよ。資本家ははたらきません。でも、お金だけちょろまかしていきます。高級車を買います。女を買いますね。悪いことに使います。許せません。

ぼくにお金をあげることは、よいことなのです。ぼくは外国の本を読みます。論文も読みます。芸術も、好きです。ぼくは、どうしたことか、買い物にも興味なく、テレビもつまらなくて見れません。飾り立てた高級料理よりも、自炊したご飯の方が好きです。お金があったところで、本を買う以外の使い道を知らないのです。

ですから、ぼくは普段は使い物になりませんが、君たちがちょっと労働の循環のなかでうまくいかなかったり、世の中がおかしな方向に進みそうになったときは、ぼくを頼るといいのです。世の中は助け合いです。助けてあげますよ。だから助けてください、ね。」



Giovanni Boldini's A Lady with a Cat




ぼく=学生の生活はニート生活である。まだまだお子様である。二十代も半ばを過ぎた今になって、おばにお年玉をもらってしまった。これに加え、親父から一万円をもらい、祖母から二万円をもらった。

実家から帰るときには、財布は分厚くなっていた。経済的な独立とはほど遠い。

金をもらっても、とくに使う当てがない。ぼくは金をもらうたびに複雑な気持ちになる。金をもらうと、喜んでいいのか、わからない。たしかに、生活の安心感による、上気した気持ちはある。ただ、金をそのまま欲しいものに使うというニュアンスがわかない。

金をもらっても、ぼくは跳び上がって喜ぶということはしない。当然のようにポケットにねじ込み、うわついた感謝の言葉を述べるにとどまる。どうも、四半世紀も養われペットの立場を維持していると、いたについてくるものらしい。
「事実、逆のことが起こる場合もいくらかはあるが、形式的な教育の期間延長は人格の退化をもたらす例が多い」ヘンリー・C・リンク
あはは。


しかしこんな人間の方が、かえって金を与える側には喜ばしいのかもしれない。実際、ぼくは悪いことに金は使ってないからな。酒やタバコはやるが……。

ああ、与える側に回る自分の想像がつかない。子どもにお年玉をやらねばならなくなったら、ぼくは逃げ回るのではないかな。

そういえば、アパートのドアノブに、電気料金催促の赤札がからまっていた。あれを越えると、いよいよ電気が差し止められるのである。一万円は、電気代に使おうと思う。


ようやく風邪が治ってきた。治りかけがいちばん大事で、ここでバイクででかけたり、ラーメンを食べにいったりするから、なかなか治らない。

0 件のコメント:

コメントを投稿