1.23.2015

Marionnette

ぼくの失敗作の人生は

別の道もあったのではないかと

ひとり 泣いている


確かにぼくは安寧の人生に辿り着こうとしている。就職してから住むだろう賃貸物件も、決まりつつある。それは、いちばん近い燐家まで30mくらいはある、田んぼのどまんなかのような一軒家……。

それは限りなく天国的である。おそらく玄関を開ければ、無機質なビルでもなく、老人がせせこましい庭を手入れをしているショボい住宅でもなく、満点の青空が望めるはずだ。

それは限りなく天国的で、日光や風を遮る隣家もなく、好きなだけオーディオや楽器を楽しめる。メンデルスゾーンを流そう。ロン・カーターのベースを楽しもう。鼻歌をいくら歌っても、苦情はこない……。

それは限りなく天国であり、ソファに寝転がって本を読んでいるところを、上階の足音や、DIYの金槌の音で邪魔されることはない。耳栓フリーな住宅。耳から膿をださなくても済む住宅。

仕事は八時間きっかり……たぶん晴れていれば自転車通勤、雨の日は自動車通勤になるだろう。また、田舎は、景色がすばらしい。グーグルマップで予定の物件から就職先を辿ってみたら、それはたまらなく美しい道のりだった。

商業施設はおろか、民家すらない。小さな山を越えて、海が見える。山の木々も、植林された杉でなく、勝手気ままにはえるブナ林である。ああ、たまらない。人間が人間に還られる時間が、労働の前と後にあるなんて。

給料は、正直言って、良い。同世代のあたまひとつ越えたくらいの給料を得ることができる。

ぼくはおそらく、幸福な人生を選んでいるだろう。そもそもの人生設計が……幸福を最大限増幅できるような人生を選んできた。ぼくが底辺の高校を選んだときの理由は、特待生として、学費が全額無料になるからであった。ぼくがこの大学を選んだ理由も、食いっぱぐれない良い生活ができるようにだった。

ぼくは鋭敏な嗅覚をもっていた。未来は生きづらくなることを知っていた。だから、良い生活ができるようにこれまで生きてきた。おのおのが、おのおのの幸福を追求するのが現代社会である。だから、ぼくは成功者とも言えるだろう。

しかし……。

幸福、それが何になるのか?

例えばぼくが池袋のボロいアパートで貧困の生活を送るとして、田舎に住むぼくと、どちらが正しい人生なのだろうか。もっと言ってしまえば、ぼくがリュックサックひとつに全てを詰めこんで諸国を放浪する旅人だったとして、どちらが正しい人生なのか?と考える。

ぼくは金に満足する。安逸な生活に満足する。しかし、ぼくは知ってしまった。金のある生活、物のある生活は、かえって価値がないと、貧乏学生のうちから、知ってしまった。

でも、幸福な人生、辛苦に満ちた人生、人間はどちらかしか生きることはできない。

幸福な人間は、マリオネットに近い。マリオネットは――自分が人間なのだと、想い続ける。

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