1.21.2015

zacky :摩天楼---

アルチュセールを捉えて放さなかったスピノザとは何ものなのか。
アルチュセールの唱えた「国家のイデオロギー装置」とは何ものなのか。

スピノザの本を読んだことがなく輪郭もつかめない。本を買おうと思ったのだがそれを読んでしまうにはまた一ヶ月ほどかかるだろう。昨日やっと一冊本を読んだが、これもインフルエンザの療養中に読んだだけで、本格的な読書ではない。

いでおろぎーそうち……。

イデオロギーというのは政治的言説のことですが、アルチュセールに言わせれば、言説が空中に浮遊しているだけではどうしようもないので、具体的な生産関係の中に根付いて、それを生み出す母体がなければならないわけです。
アルチュセールは言います、資本制生産は生産諸力の再生産と同時にその言説の再生産をしなければ存続することはできない、と。
この世界の組織といわれるもののすべて、たとえば学校・会社・官庁・教会・軍隊・刑務所・自治体・工場・協会・農協・NPO…etc。
そうした組織はそれぞれ特有の言説があり、国家はそうした言説の集合体として存在する。
たとえば学校では絶えず試験によって生徒の序列化をして将来成績の良い生徒が社会の頂点に立って、成績の悪い生徒を従属させそれを承認するための訓練が行われているし、会社では学歴によって将来の出世が決められているのを黙認することが要求されるし、工場では工員が職場の職長に従うことが日々訓練されているし、刑務所では受刑者が軍隊のような分列行進をしたり、規則正しい生活を強制されて毎日点呼がされるし、軍隊では上官に絶対服従が強いられるし、点呼・分列行進が日々課されるし、…そのようにして下の者が上の者に従うことが訓練を通して身体に覚えこまされます。
イデオロギーは頭ばかりでなく、身体に埋め込まれるのです。
そのようなイデオロギーの具体的な、イデオロギーを生み出す母体のことをアルチュセールは「イデオロギー装置」といいました。(知恵袋

そう難しい概念でもなさそうだ。 

卒業に向けていろいろ忙しく、まだ本を読むほどの余裕がない。早く田舎でリタイア生活がしたい。定時あがりってだけでありがたい。

思えば良い時期に東京を離れると思う。イケダハヤトというブロガーは、高知に移住したらしい。ブログタイトルは「まだ東京で消耗してるの?」なかなかおもしろいことをする。ああいう人間は、敏感に察知して、俊敏に動く。隼人、颯人、早人だものな。

たぶん、東京の魅力が薄れてきている。ひとが集まりすぎ、なにもかも消耗し尽くしてしまった。東京がだれにも魅力的だった時代が終わろうとしている。マンション価格の下落、廃墟化。一見きらびやかだけど、一皮剥いてしまえば、公害だらけ、搾取だらけ、コンクリートだらけの、つまらない街。

まあ、そこそこお金をもっている方々には、まだ東京はステキな摩天楼なのだろう。こういう人間はなかなか動けない。ゆでがえる、である。気づけばゆかいな奴隷たちは脱出している。

一極集中という異常事態が終わろうとしている、だれもかれも同じCDを買うという時代でもないし……。この国の中心点が、ぽっかりあいてしまう、もはや中心の方をだれも見ようともしない、そういう時代がこようとしているのではないかと思う。遊牧民的な人間がふえているのかも?

そう考えると、最近の「愛国放送」なんて理に適っている。なんとかつなぎ止めたいわけだ。ぼくらは日本人だ、日本人のイデオロギーを持て、日本人はすごいんだ、世界が羨むニッポンジン!というわけだ。

韓国人をバカにしていたけど、韓国と同じくらい息苦しい国になってきている。

経済的にはおしまいに近い国である。だれもかれも、この国が沈みかけた船であることを知っている。だから、延命措置をとるよりも、まだうまみのあるところを削ぎとって、さっさと逃げてしまおう、というのがおおかたの支配者層の目算らしい。

おかねもち・ネットワークでは、相互扶助の美しい仕組みができあがっている。お金持ちは絶対に損をしない。東電見てればわかるよね。

どうやら日本は底なしに貧しくなっているようだ。つけは末端から。末端は、派遣労働者、若者たち。派遣を握るものが覇権を握る、と。


今朝みた夢が、象徴的だった。夢を見ているときに、何かを受信してしまったのか、情報がダダダダっと入ってきて、処理能力が追いつかなくてあわてている夢だった。

日本にあるので、米中の情報が入ってくるのはいいとしても、意識の片方がイギリス近くの大西洋に飛んでいて、欧米の情報もずばずば入ってくる。

で、情報の濁流のなかでもみくちゃになるだけで、けっきょくなんの情報も得られなかったのだが、その感想としては、よのなかの情報から、表も裏もなくなる、ということを知った。

その意味は、メビウスの輪を表しているのではない。そうではなくて、表面しかない、裏面しかない情報が増えるということだ。これが情報革命ということらしい。

この世の情報は、なにも信じてはいけないようである。現在ニッポンでも、あらゆる加工品の食材を信用してはならない、という時代にきているが、情報についても、嗅覚をはたらかせねばならない。

ただ、この夢は少し啓示的で良いと思った。どうやら今後、良い情報がぼくのなかに入り込んでくる……という気がする。情報を制するものが、勝ち。小説家も、哲学も、けっきょくは情報戦だろう。

まあ、単なる夢だ。今日はひさしぶりに学校にいこう。

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