2.12.2015

増えすぎた羊

人間は平等ではない。

精神異常者は治療すべきではない。

現代においては、霊性をもった人間は、気狂いとされる。彼は薬によって、脳内のモノアミンを調節される。そうして彼は治療される。彼は常識の世界に帰ってくる。


人間はあまりに増えすぎたのだ。増えすぎたから、ちっぽけな家を買うのに、四十年ローンを組まねばならない。増えすぎたから、ぼくらは生まれたときから莫大な借金を背負っている。

ぼくらは人間としてまともな生活を送りたいと思う。そのためには「四十年きっちりとはたらけよ」。ぼくらははたらいて、身を粉にして、やっと人並みの生活を達成する。そのときには、もう白髪が生えている。

木は生えている。土壌は豊かである。雨は降る。海には魚が豊富にある。人間は、おそらく、何もなくても生きていける。

しかし、現実では、「土地を買う」のにウン千万、家を建てるのにまたウン千万円かかる。なんという事態だ。ひとが増えすぎたのだ。だから土地に見えない線を張って、ここは俺のものだ、ここに入ったら犯罪なのだぞ、警察を呼ぶぞ、と息巻く。なんという貧困だろう!

だれもかれも車を買おうとする、車を買って乗り回す。ワゴンRだろうがポルシェだろうが一緒だ。だれもが車を買い求める。コンクリートの舗装がはりめぐらされた。散歩する人びとは道の隅ですれ違うのもやっとだ。道は混む。渋滞だらけだ。それなら二車線にしよう。三車線にしよう。なんてざまだ!

人間は増えすぎたのだ。そうして、だれもかれもが、はたらく。ここに貧困が生まれる。労働の賃金は安くなり、仕事にあぶれる失業者が生まれる。はたらけない人間は、病気だから、抗うつ剤飲め、パキシルを飲め、となる。だれもかれも労働にかりだされる!いまでは老人や女性までも、労働にかりだされる。それが美徳とされる。なんという貧困だろう。

だれもがものを買うことを迫られる。家を買え、車を買え、保険に入れ、塾に通え、レストランで食事しろ……。

日本人の義務はなにか。ひとつに、労働すること。ふたつに、増えること。みっつに、消費すること。労働と消費は、ともに支配者たちへの奉仕である。そうして、その奉仕の程度は人口に比例する。

百人の国だろうと百万人の国だろうと王の数は変わらない。であるならば、大国の王に!豚を増やしましょう。羊を増やしましょう。今年は羊年。大きな羊は美しく、幸なるかな。

民主主義を利用するのは国民ではなく権力者である。団塊の世代の思想を支配すれば、民主主義が民主主義でなくなることを彼らは当時から知っていた。だから、団塊の世代の洗脳教育は、他の何倍も強い。彼らは柔軟性に欠けている、そう思うでしょう。画一的だと……。教育のたまものなのですよ。日本はコントローラブルな国になったのです。正常な国になったのです。

人間であること、これを追求するべきだ。

と今日は半錯乱気味だが学校へ行く。

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