2.18.2015

ヘーゲルはインチキ?

小谷野敦が「日本文化論のインチキ」において、ヘーゲルのことを「インチキ文化論の元」と批判していて、大いに笑った。

ついでにいえば難解で知られるヴェーバーの理論や、デリダやドゥルーズを「非論理的」とばっちり批判していて、それ以上に日本の文化人をばしばしと切り捨てて、この人はすごい人だな、とぼくは思った。

こういうことは大学人にはまず不可能な仕事で、ヘーゲルの哲学なんていまだに何十人もの「すごいセンセイ方」が研究していることを知っているし、彼らは地道にコツコツとヘーゲル一筋何十年というくらいなのだから、「ヘーゲルの『歴史哲学』はインチキ」なんていう発言は、彼らの生活圏をおびやかす行為であって、さらに彼らには専門家という矜持もあるものだから、全力で潰され、職を追われるというのが普通だからだ。
(学者ってふだんは大人しいけど自分の領域が侵犯されると獰猛な獣のように襲ってきますよ。人生かけてるからね)

だから評論家という立場で小谷野はがんばっているなあとぼくは感心したのだ。

まあたしかにぼくはヘーゲルをまともに読んだためしがない。カントについてはいまでも「読むべきだ」という声があるがヘーゲルにはそういう声がないのである。たぶんぼくの周りの少数の読書家のすべてが「挫折」しているはずである。(ヘーゲルを読み理解したのなら嬉々として「ヘーゲルはねえ」と物知り顔をするはずだ……)

ぼくもヘーゲルを最後まで読めない自分を知性的敗北のように感じていて、現代的なあらゆる思想家はたいていヘーゲルをもちだしてくるものだから、そのたびにコンプレックスをくすぐられるような気分になった。

が、ヘーゲルがインチキであるなら、それは良いことだ。ぼくにとっては。読んだひと、カワイソ。

ただドゥルーズやデリダはたしかに「非論理的」「非学問的」ではあるのだが、ぼくはまだ読み続けたいと思う。おそらく彼らは非学問的領域に価値を認めたはずであり、その点で学問という枠組みを超越した学問なのだから、おそらくニュートン力学で相対性理論を否定するような危険があると思う。

ソーカル事件というすごく有名なスキャンダルがあって、ただ難解なだけのエセ論文を書いたらそれが有名雑誌に載ってしまった、というギャグみたいな話がある。その論文のタイトルは「境界を侵犯すること:量子重力の変換解釈学に向けて」というものでこれだけで「なんだかすごそうだぞ」、と感じるものだ。

それをあげてラカンやドゥルーズのような難解な思想家はインチキだ、ということがよくいわれる。ぼくもラカンは実際ちんぷんかんぷんなのだが、しかし、けっきょく評価している人間、学界の能力的・倫理的なレベルが問題なのであって、ラカンの正当性が問われるべきなのだろうか。(ソーカルの本を読んでないのでまだはっきりと言えないが。ちなみに物理学界に殴り込みをかけた逆ソーカル事件というものもある)

ただ日本の学会においても、小谷野いわく、ラカン研究やドゥルーズ研究においては「非科学的」「非論理的」な論文をいくら書いても許容されるらしく、それは科学者の姿勢としてどうなのか、とぼくも疑わざるをえない。それは科学の限界性を示しているのか?科学は自分の殻をやぶるときにきたのか?それとも単純に学者の怠慢なのか。

だいたい、ユング心理学は非科学性と神話との近似性ゆえにオカルト扱いだけれども、それならラカンもオカルトでいいじゃないか。フロイト派とユング派で差別するのか?と思ったり。

ともあれ小谷野の本一冊で世の中のいろんな権威が「どうしようもなくアホ」であることを知れたのはよいことだと思う。この前あげていた「甘えの構造」という本もバッサリ批判されていてさもありなんと感じた。科学という武器がありながらそれを研ぐことを忘れる学者の多きこと。権威にやすやすと騙される学者の多いこと。

知性の象徴でもある「東大卒教授職」というエリートの方々にしても迷妄にかられるものらしく、世の中というものはほんとうにバカばかりで構成されているのではないか?と感じてしまう。メディアにおいて神的に扱われるこうしたエリートたちも、飯を食い、クソをし、女を抱き、ついにはボケるわけで、天皇の次には彼らを人間界に引きずりおろさねばならんな、と考えたりする。

最近ずいぶん世の中に暗いイメージをもっていたが、小谷野の本で一気に明るい気分になった。また世の中をどのように解釈をすべきなのか、自分のなかで定まらなかったが、ひとつの方法を見つけた。

つまり世の中は、単純に、バカのあつまりであり、人間は、そのほとんどはうごめく小動物に違いないのであり、痙攣的に、少しの仕事をし、少しの芸術を生みだし、そうしてコロリと死んでいくことには、ほとんどすべての人間が例外がないのだ。それはインチキソフィストの跋扈するソクラテスの時代と変わらない。

もはや、人間に対してなにかの期待を持つことは、幻想を抱くことは、辞めた方がいいのかもしれない。安部ちゃんが戦争をしようとしているところで、アホの政策によってこどもや妊婦たちが放射能漬けになっているところで、それがなんだというのだ。それは悲劇というよりも喜劇だ。バカによってバカが死ぬのだから喜劇に違いない。

ぼくはもう、真剣さをなくしたいのである。勃起した陰茎のようなクソまじめさを取りはらいたいのである。



wikipediaのヘーゲルの項を読むと、こうある。
バートランド・ラッセルは『西洋哲学史』("History of Western Philosophy"、1945年)の中で、ヘーゲルのことを、最も理解が困難な哲学者であると書いている。彼によれば、ヘーゲルは当時の現在誤っているとされている論理学に基づき、壮大な論理体系を作り上げたのであって、そのことがかえって多くの人に多大な興味を持たせる結果になったのである。
論理体系が間違っているのであり、主旨としては間違っていないのかもしれない。気が向いたらヘーゲルを読んでみたい、と思う。時間と体力のあるときに……。



それにしても、これには笑った。
現代浮世絵師が指摘 湯川さん殺害画像はニセモノ

香港の浮世絵師って、またすごいところからつっこみが入ったな……。

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