2.19.2015

ねこと犬と人間

猫好きのひとと、犬好きのひと、ずいぶん性格が違うのでおもしろい。

犬は男性的であり猫は女性的である。犬は権力の象徴であり、猫は自由である。犬は善悪の象徴をもつが猫にはない。

たとえば、ケルベロスは三頭の犬がモデルだが、オルトロスは二つの犬の頭の他に、背中から7つの蛇の頭が生え、尻尾も蛇になっていたと言われる。タコじゃないんだな。
善性の象徴としては「もののけ姫」の山犬たちのような象徴がある。モデルがあるのかもしれない。

北斎季親

犬はよく悪魔の象徴になる。なぜなのだろう。人間と犬との付き合いは猫よりもずっと長い。そのわりには、猫の方がよいイメージをもっているように思う。

例えば招き猫、というものがあって、右手をあげると金を呼び、左手をあげると人を呼び、両手をあげると「お手上げ」、逆効果だ、という話がある。招き猫は邪悪の要素がない。
(これって左脳右脳の話なのかな?左脳=右手は計算、右脳=左手はユーモアの領域……)

古代エジプトにおいては猫は神聖化されていた。エジプトがペルシャに侵攻されるときに大量の猫を放たれて、エジプト軍は身動きがとれなかったといわれる。
俗説らしいけど。
一人のローマ人が一匹の猫を死に至らしめた。民衆は「殺戮」を行ったそのローマ人の家に殺到した。彼を助けようとしてエジプト国王が派遣した治安官たちの努力も、ローマの威力が呼び起こす一般的な恐れも、この男の命を助けることに役立たなかった。彼のなしたことは偶発的なことであったということが認められたにも関わらず、であった。これは風聞にもとづいて私が書いている事ではなくて、私自身がエジプト滞在中に目撃したことである。(ディオドロス)

どれだけ猫が好きなんだ……。

「あいつは犬だ」というときは侮辱の意味を含む。「あいつは猫だ」というとき、そこにはあまり侮辱の意味はない。(あ、泥棒猫という表現があるな……)

ひとつに犬が人間に危害を加えうる存在だからかもしれない。ぼくもよく下校中野良犬においかけられて、半泣きで逃げたことがある。猫であれば、ぷいっとどこかへ行ってしまうだけだろう。

あるいは、犬に対する人間の引け目があるのかもしれない。猟犬の扱いはかなり過酷で、狩猟の能力がなくなると、山に捨てられる。それだけならまだいいが、ハンターは猟銃の的にして遊ぶこともあるのだという。

この感覚は人間的にどうなんだ?と思うが、、、とりあえず猟犬はまず道具として使われるということであり、ペットである前に一個の奴隷であった。奴隷に対してもつイメージと、犬に対するイメージが重なるのは、こういうところにあるのだろう。犬は鎖でつながれるし。

猫がエジプトにおいて神聖化されていたのは、貯蔵庫の穀物を荒らすネズミを退治してくれるからであるとされる。猫は肉食だから、穀物には手をつけない。この関係は、奴隷というわけではない。猫は食料が多いのだから自然と居つき、ネズミが退治されれば、人びとも、猫も助かる。そういうわけだから、猫が神聖視されるというのもわかる気がする。良好な関係なのだ。

あとは単純に猫がかわいいというのもあるだろう。猫の眼球は大きくて、たとえば人間の子どもの目が相対的に大きいように、猫は成長しても「子どもらしい」顔を維持する。これは、だれがみてもかわいいのである。

ロリータフェイス

ただ、いま生き残っている猫は「かわいい」種だけであるらしい。かわいいから人間に愛でられ、種が繁栄したのだとか。冗談みたいな話だ。

今日はさっさと家を出てしまわなければならないので、適当だけれども、これで筆を置く。なにが言いたいかというと、猫が飼いたいのだ。

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