2.03.2015

精神を病んだ友人

今日は友人と話をしていた。ひさしぶりにあった彼はずいぶんやつれていた。それに、髪が薄くなっていた。

軽い近況報告をしたあとに、彼はぽつりと「最近死にたいんだよね」と言い出した。話を聞くと、夢も、希望も、失ってしまったらしい。生きていることの何もかもがつまらなく、現実が空虚感につつまれている、ということだった。いままでの人生は最低だったし、これからも最悪だろう、と。認知機能にも変調がきている。飯を食べても味がしないし、寝ているのか起きているのかわからなくなる。原付に乗っていると、気づいたら信号無視をしている。「危うく轢かれかけたよ」と意外なほど快活な語り口で、かれはぼくに語った。

それで彼の救いはなにかというと、アイドルグループのファンクラブのオフ会に参加することが楽しみなのだという。彼にとって、アイドルというのは傷ついた人間たちの理想だった。遠くから眺めるだけで、精神のぶつかりあいもないし、肉体の干渉もない。ただ、それが彼にとっての癒やしなのだという。ファンクラブのひとびとは、みんなどこかに傷を負ったひとばかりで、それゆえに、優しい。ぼくは彼の話に共感した。

ぼくはふだんあまり社交好きではないのだが、こうして憂鬱な気分に陥ったひとの話を聞くのは、たいへん好きである。こうしたひとを前にすると、自分でも怖いくらい聞き上手になる。案外、カウンセラーとか向いているのかもしれない……。

このまえ、ぼくは不幸な人間からは離れたい、ということを書いたと思う。でも、憂鬱に沈んだ人間の言葉は大好きだ。ぼくは彼との会話を心の底から楽しんだ。しかし同時に、会話を楽しんでしまう自分が嫌だった。ひとの不幸を喜んでいる下賤な人間のように思えたからだ。

なぜこういう会話が楽しいのか。ぼくは彼との会話で何を得ているのか。しばらく考えて、やっとわかった。

ぼくは彼の生命力を認めているのだ。鬱病の人間は、ぼくは思うのだが、まちがいなく生きようとしている。憂鬱に襲われがんじがらめになりながらも、なんとか生きる道を探している。かれはそのとき、生きているのである。危機に瀕した人間は、生傷を剥き出しにしながらも、歩んでいく。その傷の底には、生命そのものが光っている。ぼくはその光が好きなのだと思う。

それにしても、最近聡明な人間ほど精神を病んでいる気がする。ぼくの周りではそんな傾向がある。

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