2.07.2015

たった二千年

雲や波の観察は人間研究より楽しかった。人間は、なによりもつるつるする虚偽のにかわで包まれ守られていることによって、ほかの自然と違うのだということを知って、私は驚いた。まもなく私は、私の知人達すべてについても同じ現象を観察した。
 
――つまり、各人めいめい、自分特有の本質を知らないくせに、一個の人格、はっきりした人物をよそおうように余儀なくされる、という事情の結果である。私は自分自身にそのことを確認して、妙な気持ちになり、人びとの核心に迫ろうと欲することを断念した。大多数の人間においては、このにかわ質のもののほうがはるかに重要であった。(「郷愁」ヘッセ)

  • キリストが生まれたのは2,000年前。
  • 農作の歴史は10,000年前。
  • 人類が生まれたのは200,000年前。
  • 植物や魚が誕生したのは500,000,000年前。
  • 地球が誕生したのは5,600,000,000年前。

2000年の歴史がぼくらを形作るすべてのように錯覚するけれども、この2000年ってあまりに薄っぺらくないだろうか?

20年は、あっという間だ。……ぼくの体感では。

そうして、それを100回繰りかえしたら2000年。だいたい二十歳で子どもを産むとして、100代前のご先祖さまがキリストと同世代。

ロマンがないな。

(人間の資本化?)

人類はいま、はっきりと病気なのだろう。上のグラフは、明確に異常だ。健全ではない。

飢えることがなくなり、医療が進歩し、人類は発展した。しかし、ぼくらはだれもかれも救うべきだったのだろうか?死にゆくひとびとは死なせた方がよかったのではないか。

もちろんこの考えが非倫理的であることはわかるし、ぼくだって病気になったらたすけてほしいと思うが……。ともかく、だれもが食事を得、病気が治るとなれば、人口は増えつづけるものなのだろう。

ぼくは人間は二千年以上の間病気だったのだと考える。プラトンは病気。アリストテレスも病気。なぜならポリスがひとつの病気だから。

ぼくらはそれよりももっと、古代人の教えを聞くべきではないか。そうして、草木の声を聞き、地球の声を聞くべきではないのか。

……というようなことは、書いてて恥ずかしいのだが。

最近大樹の陰にたたずむとほんとうにあたたかな気持ちになっていいのですよ。何かこう木々に深い知性を感じるのはなぜなんだろう。

よく考えてみると、ぼくの尊敬するような知識人は、人間的であるというよりは植物的である。つまり彼は現実の荒波にはまったくの無抵抗であり、ただ寡黙に静かにある人間だが、ある事象を問うと、彼は短い言葉で真実を伝える。彼を見ていると、「決断とは引きうけられた状況である」というメルロ・ポンティの言葉を思い出す。

犬のような人間、豚のような人間はこの世にいくらでもいるけれど、植物的なひととなるとなかなかいない。「草食系」は流行ったフレーズだが……。食ってどうする。

草木と人間の関係はすばらしいものがある。ぜひ山に登ってくださいと思う。ぜひ海を眺めてください、ぜひ木々に囲まれてください。人間に囲まれ、人間によじ登り、人間ばかり眺めているひとがいるけど、そんなことをしていたら病気になるのは当然なのですよ。

「いいかい、孤独がいけないという警告は少なくとも二十五万回はきかされてきたんだからね」
「われわれは人びとが孤独を憎悪するように仕向ける。そして、孤独を経験したりすることがほとんど不可能なように人びとの生活を設計してある。」
もちろんいまは上のようなハクスレーのBrave New Worldなわけだけど。

人間なんて歴史が浅いのだから。ほんとうの智慧というのは、植物や、大地や海がもっているのですよ。



ああ、バカみたいなスピリチュアリズムだな、と自分でも思う。神秘主義ということだろう。ヒッピーや中年おばさんとかわらない。

最近のぼくは人間に失望しているのである。人間が、嫌だ……。

人間の限界性、人間の醜悪さ、弱さ。「賢さ」とは、ふつう、弱者のものである。弱いから技術を身につけ、弱いから知識を身につけていった。腕っぷしの強い丈夫は、ふつうバカだ。反対に、虚弱そうな人間がいまの総理大臣だったりする。

ぼくらが文明に負い目をもっているとすれば、文明や技術というものが、人間の弱さの象徴であるところにあるのではないかな。植物は技術なんてない。魚は文明なんてもたない。だから人間はそれらを自由に使うことができる。でも、ぼくらは魚や植物に笑われているのですよ。弱いなあ、姑息だなあ、ちっぽけだなあ、と。

そうした負い目を感じながらも、人間は家を建てたり食事をしないわけにはいかないので、自然を利用してゆく。キリスト教的な考え方では、人間が豊かに暮らしていくために動植物が与えられたとあるけど、これはひどい誤謬ではないかと思う。

文明至上主義、科学至上主義が近視眼的なのは、文明こそ人間の力であり、大事にすべき宝物であると考えているところにあって、文明なんてものは、ほんとうは弱さの象徴、ずる賢さの象徴なのだ、と考えてしまうと新しい知見がえられるのかもしれない。

おそらく本当の深い智慧とは、こういうところにある。

まあ

ただの

アニミズムだな。


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