2.05.2015

Kiva

神秘主義者、とりわけエゴチストと猥褻な偽レアリストは社会にとって最低の敵である。社会には彼らから身を守る最低限の権利がある。社会とは人類だけが生き、繁栄し、より高い地点へと進歩することのできる自然で有機的な形式であることに同意してくれる人々よ、文明を価値あるプラスなもの、守る価値のあるものと考える人々よ、反社会的害虫を容赦なく足で踏みつけようではないか。ニーチェのように「自由に徘徊する享楽的な肉食獣」に熱狂している人にはこう言おう。「文明の外に出て行け。私たちから離れて、さ迷えばよい。できるものなら自分で道を平らにして、小屋を建て、服を着て、自らを養えばいい。私たちの通りも家もお前のために作られたのではない。私たちの畑はお前のために耕されたのではない。私たちの仕事の一切は、互いに尊重し合い、互いに敬意を払い、相互に助け合い、全体の利益のためにエゴイズムを押さえる人たちによってなされたのである。ここには享楽的な肉食獣のための場所は一切ない。もしお前が私たちのところにもぐりこもうとするなら、棍棒で殴られて気を失うことになろう」。 Ibird, t. II, p.550-561

ぼくは社会のフリーライダーである。ぼくには社会のためにエゴイズムを押さえるような趣味はない。ぼくの人生はぼくのものであって社会のものではない。 ぼくはたまたま生まれた社会に人生をささげるつもりはない。

社会のなかにぼくがあるのではない。ぼくのなかに社会があるのだ。社会がぼくに奉仕するのであれば甘んじて享受するが、それに対して借用書をつきつけて、取り立てをするようなことはお門違いだ。

しかし社会に対しなにかを還元したい気持ちはぼくにだってある。自然的感情はエゴイズムだけでなく集団への奉仕の情動も生む。ただそれは道路工事や農作業にあるのではない。それが向いている人間がいる。ぼくは彼らを尊敬する。しかし、ぼくはそのような仕事に喜びを感じるタイプの人間ではない。農業は楽しそうではあるから、できないことはないと思うが……。

Untitled (A Southwest Indian on Kiva) - Xavier Martinez
(*Kiva:Pueblo Indianの地下礼拝場)

ぼくは美しいものを追いかける。真理を追い求める。だから、本を読むのだ。本を読んで、社会を突きはなして、ただ哲人や自分とだけ会話するのである。でも、それがどうしてエゴイスティックな享楽なのか?どうしてそれが反社会的活動になるのか?

だれにとっても真理や美はあたたかく、快いものだ。真理を増幅し発振していくのであればそれは全体の利益にも適う。たしかに食べることや、快適な住居は、人間にとって必要なものだが、しかし人間はそれだけで生きていけるものではない。

二種類の人間を、私は尊敬している。三番目はいない。最初の人間は、土から作られた道具である肉体を使い、営々として大地を征服し、それを人間のものにする、労苦に疲れ果てた労働者である。彼の硬い手は、私にとって尊いものだ。その手は曲がり、荒れているが、そこにはこの地球の王笏ともいうべき永遠の王者の妙なる美徳が宿っている。また、すっかり日焼けして、土によごれ、粗野な知性にあふれた、そのいかつい顔も尊い。雄々しく生きる人間の顔だからである。ああ、君は粗野なればこそ――さらに言えば、われわれは君を愛するとともに哀れまねばならぬからこそ、いっそう尊く思われるのである。虐待された兄弟よ!われわれのために、君の背中はこんなにも曲がってしまった。君は貧乏籤をひいて、われわれのために徴集された兵士であり、われわれのために戦って、ひどい手傷を負ってしまったのだ。こんなふうに述べたのは、君のなかにも神が創造した形相が宿っているからであるが、その形相は表面にあらわれる運命にはなかったのだ。それは労働の厚い付着物とよごれとに覆われたままでいなくてはならなかった。また、君の肉体はその魂と同様に、自由を知ることはできなかった。だが、労苦をいとわずに働き、さらに働きつづけたまえ。ほかのだれが義務から逃れようと、君は義務を果たしているのだから。日々のパンという、まったく不可欠なもののために働いているのだから。

私が尊敬する――しかもさらに深く尊敬する――二番目の人間は、精神的に不可欠なもの、つまり日々のパンではなくて、生命のパンのために労苦をいとわず働いているひとである。彼もまた、内面的調和を求め、行為なり言葉なりによってそれをあきらかにしようと、高尚か低俗かにかかわりなく、あらゆる外面的な活動を通して努力することにより、みずからの義務を果たしている人間ではあるまいか?彼の外面的努力が内面的努力とひとつとなったときに、彼は最高の人間となる。そのときこそ彼を『芸術家』と呼ぶことができるのだ。彼は単に地上の職人ではなく、天上でつくられた道具を用いてわれわれのために天を征服してくれる、霊感にあふれた思想家となる。もし貧しくて卑賤なひとびとが、われわれを食べさせてくれるために働くのだとすれば、地位の高い、栄光を担うひとびとは、その返礼として、前者に光と手引きと自由と不死を与えるために働くべきではあるまいか?彼らのあいだにどれほど程度の差があろうと、私はこれら二種類の人間を尊敬する。それ以外の人間はみな籾殻や塵にすぎない。どこへなりと風の意のままに吹き飛ばされてしまうがよいのだ。(カーライル「衣装哲学」)

いまの時代は、グルメとセックスしか知らない人間がこの世の勝者になっている。金銭に精神を汚染された恥知らずの犬が大手をふって歩く。このような社会では、美や真理を求める人間は、地べたを這いつくばるしかない。

しかし、このような人生こそ望むものだ。生きがいがあるってもんだ。


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