3.18.2015

学生らしい無軌道はぼくから去ろうとする

イエスの受胎をゾロアスター(ツァラトゥストラ)が予言していたという説があってびっくりした。そんなことがあるのか……。

とまあその辺の叙述を冒険中である。古代ギリシャの対となるペルシャの歴史、あまり焦点があてられることはないが、その文化、宗教はまことに惹かれるものがある。

この時期は古本屋に良い本が多くなる。学生が引っ越していくからだろう、おそらく文学部の学生が売り払った岩波文庫の「カラマーゾフの兄弟」とか、経済学部(あるいは活動家?)の学生が売ったマルクス・エンゲルス・イェーリングあたりの灰色の背の本を買う。ついでにシラーも買っておく。

108円だったが、書き込みも汚れも少なく、きれいなもんである(果たしてちゃんと読んだのだろうか?)。

岩波文庫は新版の方がなにかとよい。印刷がいいし、フォントが読みやすくなっている。でもまあぼくもぎりぎり学生であるから、まだ学生らしい吝嗇がある。

108円出せば読めるのに、800円もする新品の本を買うなんてバカげている。そう、そのとおりだが……。

ああ、こういう感覚もなくなってしまうのだな。

ぼくは「食うに困る学生」であった。実家で米も作っているので、米だけは潤沢にあった。それだから、学校に行く前にはおにぎりを作っていった。このおにぎりさえあれば、学食の味噌汁(30円)をおかずにして、十分なカロリーがとれる。ちょっと味気なければ、塩を足したり、七味を加えればよい……。

そういえば、ぼくが費用対カロリーを重視している、というと、実家暮らしの連中は理解できぬ風にぼくを見つめるのだった。あいつらは飯が無尽蔵に食えると思っているが、こちらは少ない金銭で最大限の栄養をつけねばならず、したがって同じ100円の商品にしたって、カロリーの高い商品を自然選んでゆくのである。

だから、「ペヤング超大盛り」などはたまの贅沢であった。外食にラーメンを食べたいこともあるが……これなら、ペヤングでいいじゃないか……と、ラーメン750円-ペヤング200円=550円の差額を気にする


そんなような感覚が

あった。

「ゆかり」という、紫蘇のふりかけが大好きだった。しかし、それは贅沢品だったので、おにぎりに使うことはできなかった……。そんな生活が、想像できるだろうか?ぜひ想像してもらいたいものだ、貧困であり、美しい生活……。

でも、これもなくなっていくのだなと、

学生の終わりを肌身に感じる。

岡本太郎は、「若さの恥辱と、年よりの不潔」という対比を「今日の芸術」において示した。これは、精神的には豊かでありながら、経済的には弱者である「若さ」と、物質的には豊かだが、精神的には貧しい「年より」の対比になるのだろうが……。

それにしても、精神的に豊かで、物質的に豊かである、そのような状態は、無理なのだろうか?

無理なのだろうなあ、とぼくは思う。たぶん、無理なのだ……。

経済的成功は、精神の退廃をもたらすものであるようだ。

学生から勤め人への変遷。本当に、これは大きいものだ。

できるなら、逃げてしまいたい。ぼくにはきっと、勤まらない、何もかも……。仕事において、何がいちばん大事かは、知っているつもりだ。それは、上司と仲良くすること、同僚と仲良くすること。これが、ぼくはできないことを知っている。すなわち、ぼくは社会でうまくやっていけない人間なのである。

ぼくのような人間は、社会のあたたかい密度のなかで、満足していくような人間ではない、そういうことを改めて認識するのであった。と、まあよくわからない。またクソみたいなことを書いたが、これで眠りにつくことにする。



0 件のコメント:

コメントを投稿