3.24.2015

憲法と闘争

みずから虫けらになる者は、あとで踏みつけられても文句は言えない(「徳論の形而上学的基礎づけ」カント)

憲法において納税の義務、勤労の義務が示されているという主張がある。これをもとに「ニートは悪だ」みたいな論調が形成されていった。

しかしこれは誤りである。まず前提として、どこの国でも憲法というのは国民が国家権力に対し規定するものであって、国家が国民に強いるためのものではない(立憲主義的憲法)。

これをもとに某イタリア人社会学者が「日本は憲法で納税しろと書いている。こんなオゲレツな憲法は世界で日本だけだよー」と言っているがこれは半面誤っている。なぜなら上にあげた理由により国民は憲法を守る義務がないからである。

憲法99条に「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」とある。

憲法を守るべきひとびと「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」の中に「国民」がないことにお気づきになるだろう。

法学においてはこの99条の解釈は微妙になるらしい。しかし憲法というものの成り立ちを考えれば、「国民は憲法を守る義務がない」と解釈するのが妥当だろう。

国民がニートだから即ち「憲法違反だ」となる道理は通じない。それが正しいなら失業者や納税しない(どころか税金で食っている)生活保護者は牢屋に入らなければならない。

日本人の誤った憲法解釈は都合良く拡大されていった。

生活保護者やニートのような社会的弱者はマスコミによって大バッシングを受けた。このような風潮は非常に日本的である。マスコミが権力者に媚びへつらい弱者を攻撃するという異常が日本特有であるし、日本人個々人の荒廃した精神もまたあらわしている。

だいたい「働かざるもの食うべからず」とはだれに向けた言葉であったか。働かずにぐうたらしている怠け者ではない。資本家に向けた言葉だ。つまり他者を働かせ利潤を得ている人間に向けた言葉であるが、しかし本来的な意味で使われることは現代ではほとんどない。言葉を考え正しく用いなければならない一例である。

日本人を解釈するとすれば一面としては「権利意識がない」という表現が正しいと思う。

というのは「なぜ満員電車に乗らねばならないのか」「なぜ食品にも消費税がかかるのか」「なぜ残業代が会社から払われないのか」といった日常における些細な基本的権利の侵害を、だれもが黙認しているという実態、これが権利意識のなさを表している。

本当はだれもが立ち上がるべきなのだがだれもそうしない。こうした絶望的な空気感はどこからやってくるのか。それは国民の権利意識のなさにあるだろう。つまり、朝の新宿駅で「満員電車は人権侵害だ!」とひとりシュプレヒコールを送っても、だれもがそこを素通りするはずである。「バカがおかしなことをやっているな、暇でうらやましいよ」と思って素通りするはずである。

この共感のなさ、冷たさが事前に察知できるがゆえに、声をあげようとだれも思わないのである。

そうした事情の下では、法律を遵守させようとする勇気をもつ少数の人びとの運命は苦難に満ちたものになる。恣意を前にして退却することを潔しとしない力強い権利感覚は、かれらにとってまさに災いをもたらすものになる。かれらは本来仲間であるべき人びとすべてから見捨てられて、一般の無関心と臆病により拡大された無法状態にひとり立ち向かう。せめて自分自身に忠実であった、という自己満足しか得られないのに大きな犠牲を払うことによって、彼は世間から評価されるどころか物笑いの種にされるのである。そうした状態をもたらした責任は、法律に違反した人びとはなくて、法律を守らせようとする勇気をもたない人びとにある。不法が権利を駆逐した場合、告発さるべきは不法ではなくて、これを許した権利の方である。(「権利のための闘争」イェーリング)
日本人が権利意識を持たないかぎり、奴隷労働のような労働条件や、奴隷船のような満員電車は改善しないだろう。そして、奴隷を奴隷たらしめているのは、主人のせいではない。多数の無関心、臆病さ、つまり奴隷根性なのである(もっともこうした奴隷根性は主人たちの「教育」によって醸成されたと考えることはできる)。

だいたい、こういう「事なかれ」な姿勢こそ実は憲法違反なのである。

「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」第十二条で「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」と規定しています。つまり、国民は、憲法を為政者に守らせ、人権を自ら守る戦いを続けて行かなければならないのです。(Q1 憲法尊重擁護義務は国民が憲法を守ること?

まあ現実問題、日本人は奴隷である。死ぬまで働かされるのが日本人である。これについては、だれも異論はないだろう。

憲法第18条には、「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」とある。また労働基準法第5条では「使用者は、暴行、脅迫、監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段によつて、労働者の意思に反して労働を強制してはならない」と明記されている。

戦う武器はすでに手元にあるのである。それなのに、である。


ワタミで過労自殺した森美菜さん26才の遺書
月の残業時間は140時間を超過したという


だれが彼女を殺したか?

だれが彼女を殺したか?

胸に手をあてて考えねばならないだろう。





国家共同体が各人に生命・身体を賭けて外敵と戦うべしと命ずることが許されるならば、……外敵に対すると同様に内部の敵に対しても、すべての思慮ある者、勇気あるものが結集し、団結して当たるべきではなかろうか?(イェーリング・同書)

最近は「内部の敵」であるところのマスメディアが「日本はすばらしいんだ」と喧伝してやまないが、これも体制側の保身のひとつだろう。子どもや妊婦を被爆させる国のいったいどこがすばらしいのか。バカをいうな。

ISISだの韓国だのに目を奪われるな。内部の敵を叩きつぶせ。「恣意・無法というヒュドラが頭をもたげたときは、誰もがそれを踏み砕く使命と義務を有する」のだから。

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