3.30.2015

田舎での生活三日目

今日で新居での生活は三日目になる。市役所へ行ったり、必需日の買い物、電化製品を注文したりと忙しい。

冷蔵庫や電子レンジは前の家主が置いていってくれた。冷蔵庫には340lと書いてある・・・。明らかにオーバースペックである。前の冷蔵庫の二倍はあるぞ。まだ卵と水と酒しか入っていないので、ガラガラだ。

洗濯機がないのが不便で注文した。ここで何度か予告したとおり、10万円以上するドラム式の洗濯機を買った。

これもオーバースペックなのだろうが、とにかく洗濯という作業がぼくは死ぬほど嫌いであり、くつしたくらいなら濡れたまま床に散らかして風乾するのを待つだけなのだが、新しい洗濯機は洗濯、乾燥を自動でやってくれ、さらには風アイロンとかいう機能があるのでシワも伸ばしてくれる。

夜寝る前にポチッとやり、朝起きたら洗濯機から取り出してそのまま着るというぐうたら極まりない生活を実現できるという。

まったく、すばらしい文明だ。

そもそも一人暮らしで一軒家というのが一般的にはオーバースペックであるし、トイレが自動オープンで音楽まで流れるのだから痛く感動する。もちろんうるさいので消すが。

あと、お風呂が沸きましたーーといった類のアナウンスは、だれが喜ぶんだろうか?独居老人の類だろうか。

まだバイクに積んできた寝袋で寝ていて、布団も注文していないのに、アマゾンでスピーカーを買ってやった。

これで、一軒家暮らしのすばらしさを知った。他者に気兼ねなく音楽が流せるという安心感。ついでに、鼻歌や口笛も自由だ。

気ままに鼻歌を歌えること!

これがほんとうにすばらしいことで・・・アパートでは当然不可能なことはもちろん、実家の一戸建てでも、スピーカーで音楽を流すことくらいは可能だが、鼻歌なんて家族には聞かれたくないだろう。

なんとなく新居になじめなかったのは数日だけで、いまでは快適な一軒家の生活を楽しんでいる。

ぼくはなぜこんなところに来たのだろう、と思うことが何度もある。なぜ東京都心ではなく、こんなところへ?

この葛藤が消えることはないだろう。地方は、文化的には死に近い領域である。だれもかれも、無力=卑屈な精神性を示していて、腐ったじゃがいものようだ・・・。

そんなところで、救いになるのはやはり教養であって・・・。別に自分に教養があると言いたいのではないが、教養と言われるような要素が、自分にとって大きな救いになるのは事実である。

不思議に聞こえるかもしれないが、教養ある者は、ない者にくらべて、原生林の生活に堪えやすい。なぜならば前者は後者の知らない慰めをもつからである。まじめな書を読むと、土人の不信や、動物の跳梁で終日戦い疲れた機会のような存在をやめてふたたび人間にかえる。いつも自分に返って新しい力をうる道を知らない人びとはわざわいなことだ!その人はアフリカの恐ろしい散文のような生活のために死ぬのである。水と原生林の狭間で シュヴァイツェル

もっとも、まだ真に人間的な付き合いをする人がいないからそのように思うだけだと信じたい。

あまり書きたくはないことだが、原発事故の影響も少ない地域なので、東京よりは気にせず魚介類や農作物を買える。

東京に住んでいたときは、スーパーに行くたびに憤りと困惑を覚えたが、そのようなストレスがないだけで、買い物は非常に楽しくなる。そうだった、本来海鮮物を買うときは、嫌な気分になるのではなく、楽しいものだったのだ、という感覚を思い出す。

もっとも放射能放出から4年以上たった今、日本一帯、どこも安全ではないだろうが・・・。

このように、田舎暮らしは今のところ、だいたいの部分においては良好のようである。もっとも、問題点はたくさんある。例えば交通マナーが最悪であること・・・市役所が人を待たせすぎること・・・警官の態度が威圧的であること。

ともあれ、いまは順調と言っていいだろう。働き始めると、また変わってくるのだろうが。

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