3.31.2015

首輪を前にして

明日から働くのだと考えると・・・。

当然だが、重苦しい気持ちになる。

世の中には働くことが好きな人間と嫌な人間がいる。

別にマルクスかぶれではないが、本来、考えてみれば、人間は働くことが好きなはずだ。

まあ好きというか、自然な感覚でひとは働くのだと思う。あれこれ料理に好き嫌いがあるのと同じように、嫌な作業や職務はあるだろうが、それでも人間は自然とはたらくようにできていると感じる。

機械による自動化がすすめば、人間はついには働かなくてよくなるだろうーーとマルクスは考えたが、しかし、すべての仕事が自動化されても人間は仕事をするだろう。(なお、マルクスを持ち出したがぼくは全然マルクスについて知らない。)

この記述はもちろんworkとlaborを混同しているのである。しかし、人が食事をするのと同じくらいに、仕事というのは本能的であると思う。

例えば人間の生命活動が一日一錠のカプセルでまかなえる新商品が発売されたとする。糖質、脂質、たんぱく質、食物繊維、ビタミン、ミネラル、微量金属元素まで・・・すべてが入っているとしてだ。

ひとびとはそのカプセルを望むだろうか?そうではないだろう。まあ爆発的に売れることはたしかだろうが、それでもひとは食事をするだろう。肉を歯で細断し米を咀嚼するだろう。

話がソイレント・グリーンっぽくなっているが、結局、単純化すれば、われわれは労働から解放されたいのではない。それはぼくらが食事から解放されたいのではないのと同じ理由である。ぼくらが求めているのは、質の良い労働である。そして、質の良い食事なのである。

もっとも、世の中には仕事をしないで生きているひとびとがいる。何らかの理由で・・・。もっとも多いのは、定年退職した人びと・・・。その中には、まだ仕事をしたいという人がたくさんいて、それはアバウト・シュミット的なありがた迷惑を引き起こすのだけど、ぼくが東京の住宅地にいて感じたことは、ひとには労働が必要ということである。

その住宅地は老人が多かったが・・・、毎日毎日庭の手入れをしているひと、同じ車を毎日磨いている人、陶器を屋外で磨いている人、に出くわしたのだから!

この犠牲者たちは、ほんとうにぼくの心情を揺さぶってくれた。この人びとは、何のために生きているのか?

それはともかくとして、ひとには何らかの仕事が必要なのだということは事実だろう。毎日車を磨いても、陶器を磨いても意味はない。そこに表れているのは、仕事への要求である。


前置きが長くなった。長くなりすぎた。ほんとうは、日本の宗教的とすらいえる労働観を指摘したいのであった。でも長くなったし、明日も初出勤の日であるから、この程度で辞めて眠りにつくことにしよう。ハルシオンくん頼みで・・・。

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