3.04.2015

Furniture furniture

ということばかり考えていても始まらない。新居へ引っ越すためあれもこれも捨てていかねばならない。

捨てると気分がいい。現在のアパートには七年間住んだ。壁は穴だらけだ。窓もがたついている。

音に敏感であったぼくは、もともと田舎の一軒家に住んでいたから、とてもアパートの環境には耐えられなかった。寝静まろうというときに隣室から騒音あれば、壁ドンをしたし、朝から老人がDIYを始めて起こされたら、警察を呼んだ。

ぼくにはおよそ集団生活が向いていない。他人の行動のいちいちが、癪に障るのである。他者という存在は、基本的にはマイナスでしかない。ぼくはツイッターの類も、フェイスブックもやらない。少しラインはやるけれども、ほとんど参加しない。電話は受けとらない。メールも必要最低限だ。

他者に対する失望というか、そういうものがある。そうだから、燐家との距離が30mくらいはある田舎の一軒家に引っ越す予定である。楽しみでしかたない。

部屋を片付けていると、ほんとうにガラクタだらけだということがわかる。「なぜこんなものを買ったのだ?」というようなものがある。一時の熱に浮かされ、金を浪費する。消費社会とはそういうものなのだろう。

ここ数年間は、洋服もほとんど買わないし、学食を除けば、外食をしなくなった。驚かれるだろうが、テレビもいまだアナログである(なぜか映る)。そうして、月のクレジットカードの使用のほとんどが書籍代になった。あらゆる世俗的な楽しみは棄却されたということだ。

それにしても我慢ならないのは、デスクが安っぽいということである。このデスクは、ぼくの生活運用の最大の失敗だった。安っぽい合板に、塩化ビニルのような木目模様のシートが貼られている惨めなこのデスクとは、7年間も付き合ったが、くだらない洋服や享楽的なガラクタを買うよりは、十万円くらいはたいても、良いデスクを買うべきだった。

結局、新居にいったら、良いデスクを買う予定だ。そうであるなら、始めから買っておくべきなのだ。良い家具は、長持ちするし、長く使えば、それだけ愛着が沸く。ヨーロッパ趣味ではないが、家具は財産のように考えるべきだ。

そういえば、昔の日本でも家具は一家の財産だったという。ぼくの祖母も、いかめしい和箪笥や、ちゃぶ台を大事にとっていて、「これが嫁入り道具だった」と以前言っていた。

いまは楽天だのイケアだのニトリだので、家具は買うものになってきている。安い、中国製の、ガタガタした、得たいの知れない、大量生産の、資本主義社会の、家具が、大量に売られている。

まあ世の中の大部分のひとはそういうところで家具を選ぶようにできている。(こういう現象を見るにつけ、ぼくはいったいひとびとが豊かになったのか、貧しくなったのかわからなくなる)

家具は、生活の一部を構成するものであって、良い車を買ったり、良いPCを買う一方で、チープな家具を買うようでは、実は本質が見えていないのである。たしかに、車やPCはスペックで良さがわかるが、家具は明確なスペックがない。審美眼を要求する領域である。だからこそ、注意深く家具を選ばねばならない。

実は、こういった毎日触れるものこそ、人間を軌道転換させるものだ、という風に思われてならない。絵画を一枚飾るものにしても、その絵画のあたえる日常への「効果」を考えねばならない。よく「呪いの絵画」「不幸の絵画」なんてものがあるが、呪いなんてあるわけがないのであって、それは絵画が人生に与える「効果」を考慮しない結果である。

とにかく、家具は毎日触れ、毎日見るものだ。良い家具は良い人生を育む。

いっそのこと、自分で家具を作ってしまうのも手だろう。そうすれば、自分好みのものを作ることができるし、それが失敗したとしても、良い職人の作った家具がどのようなものかがわかる。

自作デスクの例。変なライト……。

ソローは「森の生活」のなかで、家具どころか家までも自分の手で作ってしまったのだが、そのような生活がうらやましくて仕方ない。デザイナー家具とか、大職人の逸品でもそれはそれでよいのだが、結局人間はそれぞれ違うのだし、その個人にぴったりあった家具というのは、高い金を払ってオーダーメイドするか、自分で作ってしまうしかない。

たとえば椅子をオレンジ色にしたいと思っていても、既成品のオレンジがどうも気に食わない、ということがある。もっと渋めのオレンジが良いのだが……。と、ここで妥協してはいけない。いつのまにか生活が貧しくなる。こういうわずかな不協和音の持続が、精神にダメージを及ぼすものだ。

自分で家具を作るというのがひとつの理想だろう。ただ、現実には、そのような時間も、場所もない、というのが日本社会である。東京で家具を作ることは難しいだろう。住宅街でトンカチをカンカンとやれば、ぼくのような人間が、警察を呼ぶのだから。

人間は、もっと散らばってしまわなければならない。東京は異常空間である。ぼくはいつか、東京が自分の重力に堪えかねて瓦解してしまわないか怖れている。

話が散漫になってしまった。

くだらないことばかり書いているな。とにかく……引っ越しの準備を続けよう。

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