4.03.2015

支配と統治の一端

社会のなかにおけるぼくら個人は、統治される側であり、そして、支配される側である。

この当たり前の観点は、知っている人にとってはいまさら過ぎる知識なのだろうが、知らない人間はまったく多い。多すぎるくらいだ。大衆はみなこのことを意識することはないし、知ることもないと言っていい。

ぼくらは教育によって刷り込まれる。この国は民主主義である、と。つまり八百屋のおっさんでも酒屋でも、「平等に」投票権を持っているのだし、だれに投票しても「自由」であるから、民それぞれが国を支配していくのだ、とそのような理想像が学校教育・メディア教育によって刷り込まれている。

しかし実情としては日本では選挙は形式的な意味しかもっていない。だからぼくらは選挙結果にいちいち落胆せねばならないのだが・・・。

端的に言えばこの国には支配層があり民主主義など機能していない。我々は支配層に支配され、そして、統治されている。

こうした観点は、陰謀論的な一般的に頭ワルイ系の考えと思われがちだが、渡辺治という一橋の名誉教授が20年ほど前に指摘しており(「現代日本の支配構造分析」)、ああわりと大学のセンセイもこういうことを言うのだな、と感じ入った。

ぼくはといえば大変愚かしいことだが最近になってこの事実を知った。その源流には原発事故による政治に対する絶望があったのであり(それは国民に対する絶望でもあったのだが)、直接的なきっかけとしては安部政権のあまりにも強硬的な政治的態度がある。

なんとなく生き辛い国だ・・・と思うことは多かったが、その根底にはつねに、支配層による統治の図式が見えてくるのである。

サービス残業や個人の権限が無視される軍国主義的な企業体制であったり、理不尽に高すぎる税金や、町内会やPTAといった人心をコントロールする社会構造などに、統治の構造が随所に見られる。

そんなことは、明々白々だ。社会があるところに統治がある。

ぼくはいずれ海外に出たいと思っているが、いったいどこの国がこの支配をまぬがれているのだろう。日本のマスコミに比べれば何倍も公正に見えるBBCなどのメデイアもただ狡猾なだけと聞く。



ともあれ、ぼくには仕事があるのであって・・・。本当に、めんどうくさいことだ。明日も土曜日にかかわらず休日出勤せねばならない・・・。

別に強制ではないのだが、「強制ではないけど来てもらえる?」と言われて、断る新入社員がいるだろうか・・・。まあ、最低限給料が出るからましなのだろう・・・。この日本では。

仕事という領域に身をおいて気づくことはたくさんある。いずれ書きたいのだが・・・。日本的な労働観・・・。部活動の延長のような労働環境はいますぐ取りやめるべきだろう。もっとも、この労働に対する価値観も、支配と統治の構造に組み込まれているのであり、例えばサービス残業を廃止してホワイト企業になった中小企業が即座に経営不振に陥り他企業との競争に負けるように、われわれ個人とか、一企業がどうこうしたところで変わらないのだろう。変わるときがあるとすれば支配層に合理的理由があるときであり、少数派の民意などかき消えてしまうもののようだ。

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