4.18.2015

メタファーとしての鬼と母

生活レベルの向上とは良いものだ。

昨日仕事が終わると、金曜日の開放感から、少し高いコーヒーと、少し高いウィスキーを買ってやった。

ウィスキーは、ハイボールにして、風呂の読書時間のお供にした。実にいい気分だ。コーヒーは今飲んでいるが、さすがに品のいい味がする。

労働は苦役だ。そして、労働は賃金を生むものだ。

賃金のない労働は奉仕だし、隷従である。それは上下関係を孕んでいる。権力者や尊ぶべき他者に対して行うのが奉仕で、奴隷的立場に自分を貶めるのが隷従である。

であるから、日本的な現象であるサービス残業とは、すべて上下関係を前提としていると考えてよい。もっともそれは単に上司や経営者の圧力とは限らない。もっと複雑な「場」が支配していることも多い。それは「空気」とも呼ばれる。

さて、この「空気」はだれが生み出したものなのか?

・・・一般的な労働はこれとは違い、労使関係は対等である。使用者と労働者は、ただの人間である。人間と人間は、対等であらねばならない。これが一般的な民主主義の考え方だ。

とはいってもこれは大衆の痴愚を生む。世間でもっとも権威ある職業は「医者」だが、患者が医者と「対等だ」と思うことで、そこに齟齬が生じている。

日本では「モンスターペアレント」という言葉が流行した。ひとびとは、「教師」というひとつの権威を自分たちのもとに引きずり落とした。

その背景には、私塾に通わせる子供の増加もあるのだろう。つまり、教育は自分たちの力によってできるのだ、と思うことによって、教師は威光を失った。あとは大卒のレベル低下もあるだろう・・・。

同様に、「モンスターペイシェント」という言葉も生まれた。即ちimpatientなpatientである。彼らも、自分の肉体は自分でコントロールできると思っている。メディアはさかんに健康番組(ほとんどは眉唾だが)を打ちだしているし、昨今の過剰な健康ブームは、医者なんてかからなくても病気は治せるのだ、という誤解を生んだ。

この民主主義的現象にさかんに異を唱えたのがフランスのジャック・ランシエールだが、実に民主主義的な国であるフランスで、このような反動が起きることはおもしろい。

結局のところ、ぼくらはスタートでは平等であるべきだが、結果を平等だと思ってはならないということだろう。ある小学校では「徒競走で全員が一位」としているようだが、この考え方こそ民主主義的白痴の根本を表している。

医者と患者の関係は対等ではない。それは治す側と、治される側という、絶対的な関係もあるし、そもそも「医者は偉い」のである。勉強量や臨床経験からして、一般的な患者はそのレベルに到達できない。

もっとも、「ロレンツォのオイル」のようなケースもある。一般人の血の滲む努力の結果、医者や科学者を通りこして、世界的な発見をすることもありうる。しかし、それはあくまでレアケースだろう。

少なくとも、テレビの健康番組を鵜呑みにするようなリテラシーのない人は、医者の言うことに口を挟もうとは思わないことである。

とはいえ、おかしな医者もいるものだから、「それはおかしいだろう」と思うことには、きっちりと反論せねばならない。だが、その判断は難しいものだ。いちばん良いのは、名の知れた大学病院にかかることで、彼らはつねにマスコミの(国家や大企業より厳しい)監視を受けていて、医療ミスを死ぬほど恐れているから・・・おかしな治療を受けることはないだろう。

話がだいぶそれてしまった。カフェインの駆動力で変な方向へ行ってしまうのだ。

労働者と使用者は対等である。べつに使用者は偉くないからである。それは小学生にとって校長先生がただのハゲたおっさんで、体育教師の山下より怖くないのと同じである。

ぼくらは賃金を求め、彼らは労働力を求める。このような関係は相補的であるから、ゆえに対等である・・・。

ああ、混乱してきた。

医者も患者を必要とするからである。

そして実際のところ、ぼくであっても経営者や雇用者にはそれなりの権威を感じるからである。

患者や父兄のモンスター化は、痴愚化と言えるのだろうか。それは実に民主主義的な傾向なのではないか。たしかに、医者や教師に対する要求は的外れなことが多い。しかし、日本的な学校教育を受けてきたぼくにとっても、日本の教育は問題だらけであることがわかる。

給食費を払わないなどは論外だが、「自分の子どもには牛乳を飲ませたくない」などの主張はまったくの正当である。また、「修学旅行に行かせたくない」も理由によっては正当だと思う。

権威に対して、市民的な権利意識が目覚め、主体の回復としてのモンスター化?抑圧からの反動?

すなわち、彼らを「モンスター」だとして阻害し制圧するためのPRがあのマスコミ報道だったのか。芽生え始めた権利意識をゲシュタポ的な市民監視によって摘みとり叩き潰すための広報活動が「モンペ」などの言葉だったのか。

それは桃太郎における鬼=モンスターが縄文人だったがごとく、戦時中の「鬼畜米英」の言葉が如く。

ああそうか、真理はつねに少数派の方にあるのだった。少数派、すなわち「オニ」の方に。

そして、つねに権利意識は母親から生まれるものだ。それは放射能汚染に対してもっとも過敏に反応したのが母親たちだったことからもわかる。

この日本で、鬼とは母親なのだ。そう考えると、先進国中もっとも高いシングルマザーの貧困率の理由もわかる。彼女たちは、国家に迫害されているのだ。縄文人の作り出した土偶の多くが、妊婦の形をしているように、縄文人は母親というコードを崇拝していた。すなわち鬼=縄文人=母親である。母親というシンボルは、この国家において伝統的に迫害されるもののようだ。

あーなんかすっきりした。報道と、言葉の力って恐ろしい。モンスターペアレントと聞くと、悪いものだと思ってしまうし、そのように報道されると、そういうものだと思ってしまう。迷妄が一個とれたぞ。

さて、何の話がしたいのだったか?

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