4.21.2015

書きたいことはいくらでもあるのだけど、まだ不十分だ、魂が磨かれきっていないのであって、永遠に、ぼくはまともな文章を書くことなく、だれかの心を震わせることなく、このまま沈んでいくのかもしれない。

肉体が朽ち果て、残すべきものがなに一つないとしても、自分の人生は良かった、と言えるだろうか。子どももなく、資産もなく、作品もない。

ぼくの音楽は、「だれも聴いていない状況」でしか光を得ない。録音していたり、他者とのセッションにおいて、ぼくの音楽はぎこちなく鈍り、破綻する。

ぼくの人生も同様のものなのかもしれない。ぼくは、自分の人生の価値を、自分ひとりでしか味わえないのかもしれない。

ぼくの葬式で、「あいつは凄かった」「いい人だった」と言ってくれる人間は皆無だろう、だれもが首を傾げるだろう。

「この人の人生は何だったのか?なぜこの人は生きていたのか?その生は何をもたらしたか?」

他者があるところで、ぼくは傲慢で、臆病だった。他者が恐ろしかったし、また煩わしかった。結局、他者のいるところでぼくは羽を伸ばすことができなかった。自分は自由だ、と感じるときは、デスクライトひとつの薄暗い自室のなかか、敷居で区切られた自習スペースか、だれもいない音楽練習室でしかなかった。

ぼくには残すべきものは何もないだろう。ヘラクレイトスのように、「不滅の誉れ」に恋い焦がれた時期もあった、自分という人間を、社会にドンと叩きつけてやりたい、そう思う時期もあった。

だが、この手応えのなさよ。社会に対しては、ほとほと失望してしまった。社会はゲルのようで、何事か投げつけても、音もなく吸収されるだけだった。社会それ自体は、なんら変わることがなかった。

一個人の力など、巨大な社会においては力を持たないし、日本という社会は、もともと頭脳をもたない。結局、属国なのだし、属国の国民は無力だ。声は宗主国には届かない。

ともかく、政治なんてどうでもいいことだ。子どもや妊婦が被爆にさらされようと、ぼくは何も感じなくなった。

不滅の誉れとは、けっきょく社会のなかに自分を残すことだ。何万人に名前を知られようが、それがなんだというんだ。「みんなに偉いと言って欲しい」のか。何という稚拙な動機だ。

大衆はアホだ。これはもう、ぼくの頭の中では、一個の覆らざる真実だ。もっとも、貴族主義というわけではない。財閥系サラリーマンや高級官僚のような社会的エリートもバカばっかりだ。だから大衆にいくら尊ばれたところで、それは意味を持たない。

精神の貴族主義ということだ。高貴な精神、これを持つことだ。それ自体で充溢した存在となること、個人として完成すること。貴族、即ちある少数者。

個人として完成したならば、もはや名誉や金銭に拘ることはないだろう。自己と世界は直接にリンクするのだから、名誉とか金銭のような不純な媒介物はいらない。

ぼくは孤独な道をいく。もはや、だれの目にも狂気で、だれの目にもバカバカしい道をいく。もう、いいのだ。放っておいてくれ。



2 件のコメント:

  1. 僕自身もあなたと同じような性格の18歳でしてみんなに嫌われた先に自由にたどり着くようなきがしてきました。

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  2. それは良いことです。生きづらいことは悪いことではありません。がんばって。

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