4.24.2015

春ちゃんとぼく

第三階級はなにによって革命に導かれたか?

という問いに対し、歴史学者のルフェーブルは「革命的群衆」において、「語らいconversation」と「プロパガンダ」をあげている。プロパガンダとしては、印刷物、シャンソン(歌謡)、演説の類である。語らいとは、つまり会話だが、まさしく伝言ゲーム的に、変容し、影響しあい、次第に巨大になっていく大衆独特の現象をさしている。

本著において独特だと思うのは、フランス革命が「陰謀論」によって起こされたことを指摘している点だ。フランス革命前には、「支配階級は第三階級を破壊しようとしている」という陰謀論が広まった。その恐怖はフランス中に伝播した。

ところが革命後にはそのような証拠は何一つ見つかっておらず、結局、それは「誤解」だった。代わりにわかったことは、支配者層は「そこまで考えていない」ということだった。たしかにわずかばかりの大砲や、護衛がいたけれども、それだけだった。彼らは寸前まで市民が自分たちを襲うなどと考えず、まさに「寝耳に水」だった。

錯誤が生まれ、恐怖が市井に伝播し、増長された恐怖が恐怖を生み、人民を駆り立てる。革命は、恐怖と錯誤によって起きた。

(この書き方ではルフェーブルを誤読していると言われるだろうが)



快適な社会生活を営むために必要なことは、十分な睡眠だ。

ぼくは二つの武器をもっている、片手にはハルシオンという睡眠薬、片手にはレキソタンという抗不安薬だ。仕事の前にレキソタンを飲むと、実に快適に仕事ができるものである。

ただ、レキソタンを飲むと集中力が続かず、ミスが連発する。たちの悪いことに、抗不安剤のはたらきで、ミスに対しても焦ることがない。「あーミスしちゃいましたてへぺろ」くらいにしか謝れないので、周りの顰蹙も買う。これはよくないだろう。

というわけで、超短時間型の睡眠薬であるハルシオンをとくにしんどかった日に飲むようにした。睡眠導入剤だが、抗不安作用もある。ついでに筋弛緩作用もあるので、肩こりにもいい。

もっとも恐怖を感じるのは朝、出勤してすぐの時間なので、夜にハルシオンを飲んでおけば、朝も少し気分が楽になる。効き目はおそらく昼までには完全に消失するので、うっかりミスもレキソタンほどではない。

当然、熟眠できるので朝起きたときの目覚めがよい。

もともと前のアパートの騒音で眠れず医者にもらった睡眠薬であり、就活で緊張を隠すためにもらった抗不安剤だったのだが、どちらもぼくの生活には具合がいいみたいだ。

とりあえず、今日が金曜日ということは、救いのあることだ。おまけに、やっと明日は光回線の工事だ。これさえあれば、ぼくの生活にはなんの不自由もないというわけだ。

生活の快適さは、ぼくにめまいを感じさせる。ぼくのような人間が、まっとうな生活をしてよいのか、と思う。ぼくは何かしらの不幸を受けなければいけない人間で、社会におけるゴミ捨て場のようなもので、存在は不快だけど、便利だし、なくてはならないものだったはずだ。

もっとも、どんな組織に移っても、初めはうまくいくものだ。それは周囲のひとびとにある程度の気遣いと誤認が生きているからで、月日の雨風がそれらをかき消してしまうと、人々は、ぼくに敵意を向けはじめる。

敵意のトゲが、ぼくを覚醒させ、追いたて、逃避させる。ぼくの人生は逃げてばかりだが、実際のところ、ひとはみな逃げ続けるものではないか。問題は、後ろに逃げるか、前に逃げるかだ。

定住できないという苦しみがあり、定住できないという喜びがある。小市民的な生活に憧れることもある。妻と子供、仕事と友人、税金とマイホーム。だが、これらは、もはや別個の人間のものであって、ぼくの人生とは縁のない、遠くにある絵でしかない。

何が書きたいのか、よくわからなくなってきた。とにかく、智慧を得ることだ。本を読むことだろう。ぼくが人生に幾ばくかの期待を持てるとすれば、知識を身につけること、これだけしかない。

金とか、家庭とか、ぼくには無縁のものだ。あってもいいけど、なくても構わない。ただ、知識だけはなくては困る。知識は、金をいくら積まれたところで渡せるものではない。

知恵ある人間が、唯一自由であることができる。

0 件のコメント:

コメントを投稿