4.25.2015

おとことおんな

昨日は一日不快でたまらなかった、ぼくを捨てた恋人とか、嫌な先輩を思い出したりした。

嫌な先輩の方は、偶然にもぼくと名前が同じだが、性格の方はまるで違った。ぼくが神経症なら彼はサイコパスだった。つまり、ワタミの社長とか、松岡修造の類と同じで、人の感情に鈍感で、おそろしいほど利己的だった。もっとも、彼には友人が多かったし、恋人も取っ替え引っ替えしていた。そう、そういう人間の方が社会的に成功する。それは渡邉美樹も松岡修造も変わらない。彼は業界トップの大企業に入った。もともと、金持ちの家に生まれていたし、順当なエリート街道だ。

彼とのつながりは部活動だったが、彼の音楽に対する姿勢というか哲学や思想は皆無だった。彼の音楽演奏は、冒険や試みもなく、理性も感性もなく、ただそれっぽいだけ、表層を泳ぎ回っているように見えた。実際下手だった。下手だったが、政治力はあったので、部長まで昇りつめた。それでも、世間はそんなことを気にしない。

企業面接で聞かれるのはリーダーシップだ、コミュニケーション能力だ。そう、それがすべて。

彼はぼくが知る限りもっとも成功した人間だし、今後も成功し続けるとは思う。しかし、なぜかまったく尊敬する気にならない。

彼はぼくより金を持っている。ぼくより仕事ができるだろうし、成功している。セックスだって、ぼくの何十倍もしている。友達も、何十倍も多いだろう。

それなのに、彼はぼくの下にいる!

なぜだ。それは、ぼくが彼になりたいとか、憧れるようなことは一切ないからだ。彼はたしかにセックスと金の点ではぼくよりも豊かだが、それを差し引いてみても、彼の魅力は乏しい。常識で考えれば彼はぼくのはるか上に位置するが、ぼくの認識では彼は指でつまんで持ち上げなければならない暗愚だ。

ところが、暗愚の徒輩が、ぼくと対等となる瞬間がある。それはやはり、女がらみなのだ。

ぼくが愛する女が、ぼくではなく、彼のような人間を愛するとき、彼はぼくに勝利する。そりゃそうだ。女はリアリストだ。子宮が精神を支配する。だから、超一流企業のコミュニケーション強者であれば、そちらが魅力に違いない。

ぼくはいろんな女の浮気相手になった。プロボクサーの恋人を持つ女、ボンボンの有名私大の恋人を持つ女。それでも、ぼくの恋人になる人間はいなかった。おそらく、ぼくはある種の引力を持つのだが、それは味見にとどめておくべきもの、少しの遊びで満足する類のもの、すぐに失望してしまう甘いお菓子のようなものかもしれない。その関係は意外と居心地がいいのだが、必ず最後にはぼくが泣くはめになるのだ。

自分の愛する女が、嫌いな男を愛する。このようなことは、よくあることだ。ありすぎるくらいだ。秀でた知性をもつ哲学者や芸術家が、恋愛においてほとんど必ず失敗するのは不思議なことだ。知に生きると決めた人間は、愛することをやめなければいけないのかもしれない。

ぼくがすべきことは、愛することを辞めること、ひとりの人間に執着することを辞めること。とは、結婚しないことではない。かたくなに結婚しないと意志することも、また執着だからだ。執着しないことに執着する。つまり、流れるがまま、拒まず、追わずということだろう。

気分が少し楽になってきた。今日は土曜だ。社会人になって気づいたことは、疲れがどっと襲うのは、休日であるということだ。

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