4.09.2015

散文的生活

朝7時に起床。携帯をチェック。ニュースとか、ブログの更新を確認したあと、お湯をわかして、その間シャワーを浴びる。コーヒーをドリップする。ドリップの間に、梅干しと、トマトを食べる。腹が空いていたらバナナを。コーヒーを飲みながら、仕事行きたくない系のサイトを検索して、日本が世界最悪の労働環境にあることを再確認する。

8時になったら着替える。私服で通勤できるのが良いところである。適当なシャツとチノパンを履いて、バイクにまたがる。

最近は本当に雨が多くてうんざりする。

だいたい8時20分には会社に着く。出社時間は8時半。新人だからはやく出社してやろうという気持ちは一切ない。

仕事は今のところ単純作業が多い。じゃっかんアスペルガーの入ったぼくには向いた作業だ。

12時半から一時間休憩。おにぎりか、惣菜パンをひとつ。ネットか本で時間を過ごす。

13時から、また業務。仕事内容は、いい加減うんざりしてくる頃だ。

18時になると、おめでとう、退社の時間だ。上司が帰っていいよといって、帰宅する。ほんとうは17時半退社のはずだったが、まあいい。

途中、買い物などして、19時帰宅。20時まで本でも読みながら風呂。それから自炊、食事。酒。

22時過ぎ、就寝。

最近の日常はこのループだ。

18時退社というとうらやましがられるがこの生活にもそろそろうんざりしつつある。

カフカは保険庁の事務をしていたらしいがそれは午前中で勤務が終わるのだという。だから執筆業などができたのだ。

いまの日本では一日八時間でも少ない方で一日12時間や14時間は平気で働かねばならないらしい。おまけに満員電車で片道一時間など普通なのだ。なんという荒廃した生活だろうか。

実際のところ八時間でも長いのであって海外では一日七時間が普通である。つまり9時に出社して休憩一時間、17時に帰るという具合である。このような時間的裕福さは日本ではまったく見られない。いくら金があったところで時間がなければ家庭は崩壊し夫婦仲は劣悪でプライベートのつながりは断絶されてゆく。思索や趣味の時間もとれなくなる。そうしてますます仕事にのめりこんでゆく。

ぼくには別に仕事に対する期待はない。数年務めたら、海外へ出るのだから・・・。しかし、数年とは何と長いことだろう!この一週間を、何百回も繰り返すのだと・・・。

それにしても、こうして、田舎の地で、まったくのひとりであること、肉親も、友人もなく、ぽつんとひとりでいることは、稀有なことだ、といま、酩酊の中で感じた。

外にはカエルが鳴くばかりで、四人がけのテーブルには、ぼくひとりが、キーボードを叩き込んでいる。

ぼくがいま、ここにいる必然性がわからない。

そう、納得しようとはした。ひとはどこかに身を置かねばならないのだから・・・。なぜここにいるのかは、問わないことだ、と自分に対して説得した。

かつての友人たちは、ぼくにこういったものだった。「なぜ、あんなところに行くの?」今の同僚たちは、「なぜこんなところに?」と問うのである。

なぜなのだろう?と自分でも考えるが、いくら考えても、わからない。唐突に疑問に襲われるのだ。これは自分の生なのか、ということを。

それにしたって、人生など、コントロールできるものではない。西へ行くつもりが、東へ行く。

どんな辺境へ行くにしても、音楽とか、文学は身近にあるのであって、それらがぼくの血肉と共振する以上は、それ以外の世界は瑣末な付属品というほかないという気がする。

仕事をしなくても、死ぬわけではない。アシジのフランシスではないが、貧困の生活もまた豊かなものである。

自由の時間は、しばらくお預けか。音楽と、読書が、恋しい。絶対的時間がないのだ。悲しいことだと思う。


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