5.23.2015

予言について

昨日はあきらかに精神に変調が起きていて、変なことをたくさん書いた。

仕事へ行ってからも、違和感がずっと残っていた。ぼくだけがおかしいというよりは、みな、少しずつ違っている。疲れやすかったり、ぼんやりしがちだったり。かえって妙に元気で、普段おとなしいひとが饒舌だったり。

そうだから、その原因はなにか、とずっと考えていた。5/22は明らかに変な日だった。ニュースを見ると、たいしたことはおきていない。箱根山も噴火していないし、特に地震が起きたわけでもない。

ひとつ気になるのは、環水平アークが全国的に観測されたということだ。


空がおかしかったから、みんな変だったのか……と、妙に溜飲を降ろした。こっちでは計測されてないけど。



予言とか、予知など、バカバカしいものだ。未来を知る?そんなことはできるわけはないと、理性は言う。科学では否定されてしまうけど、宗教では予言はきわめて重要だ。

おもしろいことに、コーランではキリストは「預言士」として書かれている。そうして、キリストの受胎も予言されたものだが、予言した東方の三博士はゾロアスター教徒である。当然ムハンマドもアラーの「預言者」である。

預言と予言を混同するな、と言われそうだが、予言とは、未来の予測であり、預言とは、人知を超えた知恵である。根本では同質だ。

なぜ人は予言が可能か。

大災害だろうと、政治革命だろうと、突然起こるわけではなくて、必ず膨大なエネルギーが蓄積していく過程があるはずである。そういった変化は、目に見えない領域であったり、他者が見過ごしてしまうようなところにあったりする(ナマズなどの動物は、それを感じ取っているわけだ)。こうした情報を受信することで、ある程度の予言ができるんではないか。

だから予言とは、注意深さ、感性の鋭さ、と換言できるだろう。大災害も、おそらくは事前に感じ取ることができるはずだ。もっとも、ネットでよくいる予言士なんて、すべてペテンか錯誤だろうけど。

だいたいの宗教家において、予言は重要なファクターだ。あとは呪術も(ゾロアスターは呪術師)。

予言は単なる感性の鋭さであり、呪術とは言葉の力である。つまりは、センスのいい詩人なんて、宗教家に適正があるのだろう。ヒンドゥー教においては、真理にもっとも近い人物は「詩聖」と言われていた。

まあよくわからないことを書いた。ともあれ、先のことを知ることは大切である。それは人間を超えた能力というよりは、人間本来の能力であると思う。



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