5.26.2015

雑記

何も書く気が起きない気分。

昨日は憂鬱ひどく、さんざん仕事でミスをやらかした。頭が麻痺したように動かなかった。自分でも笑ってしまうほどのミスだった。

ときどき自分が障害者なのではないかと思うときがある。まちがいなく社会不適合者であるし、たぶん受診すれば精神疾患と診断されるのだろうが、こんな自分がフルタイムでまともに仕事をしているというのだから、それは奇跡に近いことである。

どんな場に行っても、「自分はいまここにいてはいけない」という気分が消えない。もっとも田舎はふつうそういう場所だ。「私はこんなところにいるべきじゃない!」と若者たちは都市部に行く。そうして、「私はここにいるべきなんだ」となる。

でも、東京より田舎ははるかに快適だ。静かな環境にすぐ逃げ込むことができるし、海や空が美しい。それに、ルンバとドラム式洗濯機を買ったら、ほとんど家事をする必要もなくなった。車を持ったら、ずっと日常が楽しくなった。

二回目の給料が出た。思ったよりも、税金や保険で持っていかれるから、給料は少ない。それでも、家賃はほとんど出るから、給料は自由にできる。

金を何に使うべきなのだろう?

何よりも、時間が欲しい、ゆっくり休む時間と、本を読む時間と、楽器をやる時間と、旅行に行く時間を。ぼくは、働くために生まれてきたのではないのだ。

そうだから、ひとつには貯蓄するのが良いのだろう。仕事を辞めてしまえば、時間ができるから。有給もとりにくそうだし、そうするしかないのが実情だ。

労働のなかに喜びを見出せるひとはすばらしい。ぼくは仕事に熱中することができない。いつも、時計ばかりみて、一時間経った、これでいくら稼いだ、と自分を慰めている。援助交際をしている女子高生のような空しい気分だ。

都会の商品たちは、「欲しいでしょう?」と言う。都会の仕事たちは、「楽しいでしょう?」と問いかける(そうして労働者たちは「役に立っているでしょう?」と顔色を伺う)。でも、商品なんてガラクタばかりで金の無駄だし、仕事は辛いものでしかない。変な付加価値をつけて、自分を慰めることもできるけど、それは無思考がゆえだ。

都会では、つまらない仕事に従事させて、つまらない商品に金を使わせる、ひとつのサイクルができている。愚鈍な人は働き損だ。いつまでも搾取されることには変わりない。だから、最近の消費しない若者というのは、少しの希望だ。あるいは搾取が少し露骨になって、はじめから賃金を与えないという構図になっているのかもしれない。



ぼくはここでさんざん、自分が知者や賢者かのように語っているけれども、それにもし騙された人がいるとすれば、実際のぼくを見て幻滅するだろう。

ぼくはてんで楽しい会話ができないし、変なところで笑うし、挙動不審の、気持ち悪い人である。そうして、仕事は本当にできない。たぶん、10年仕事を続けて、ようやく普通のひとの2年目、というところだろう。責任感がないから、失敗してもへらへらしているし、不愉快きわまりない存在だ。

ついでに、あらゆる支払いを滞らせ、期限をまったく守らない。法律もたいして守らない。信号無視くらい平気でやる。年賀状は返さない。そうして、電話にもほとんど出ない。留守電も聞かない。折り返しもしない。

そのような、社会性は皆無の人間である。

とうとつに自己紹介を始めてしまったが……。

自分の思考を吐露する場面にあまり出くわさない。ここに書きなぐる程度のものだ。でも、たまに少数の友人に自分の考えを打ち明けるときは、まるきりキチガイのような扱いを受ける。

実際、ぼくはキチガイなのだろう。それでいいんだとも考える。ぼくはバカで、気持ち悪い存在だし、どこにいても邪魔者だし、使えない無能なのだろう。しかし、それはけっこう。ひとりで立つことは、気分のいいことだ。

1 件のコメント:

  1. はじめまして。私はどちらかといえばあなた寄りの人種で、しかし何の才能もない女です。無気力な私ですが、あなたの魅力とセンスある記事を読むのをとても楽しみにしています。真剣に「生きている」姿が美しいです。あなたがコメント嫌いと知りつつも、無性にコメントしたくなりました。ではまた。

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