5.06.2015

ゴミ問題が解決した

せっかく一戸建てを借りたものの、長らくゴミを出すことがおそろしく、一部屋がまるまるゴミ置き場になってしまった。大量のダンボールと、ゴミ袋(大)が10袋。暑くなってきたこともあり、異臭を漂わせている。

市役所に電話したら、直接持ち込んだらどうか、とのこと。よく調べていなかったのだが、近所に焼却場があり、土曜や祝日も午前だけはやっているらしい。なんてこった、知らなかった。

さっそく車にゴミを詰め込んで、出発してみる。距離にして3,4分のところに焼却場はあった。つくと、重量計の上に車を乗せろとの指示。ゴミを詰んだままこれに乗り、ゴミを捨てたあとにまた乗って、差分を計測するらしい。

車のままゴミ処理場のなかに入る。なかにはゴミをプールする巨大な縦穴があって、その前に車をつける。ゴミ処理のおっさんが、ぼくの車からゴミ袋をつかみとり、ぽーんと穴に投げ入れる。もしかしたら分別チェックがあるかも……という懸念は、まったく不要だった。

ぼくも真似して、ぽーんと投げ入れる。思わず笑ってしまった。しつこくぼくの部屋を占拠していたゴミが、一瞬にして処分されていく。市民による分別のチェックも、プライバシーの侵害もない。朝8時までに出せとか言われることもない。なんという清清しさ!

ダンボールも同様にして、一瞬にして処分されていった。帰りに計測したが、追加料金はなし。ゴミのなくなった空き部屋は、よく換気して、寝室にしてやった。

週に一度、十五分くらいかかるが、それでもゴミは簡単に処分されることがわかった。もともと、近所のゴミステーションは遠くて、車が必要な場所にあったのだから、大して手間は変わらないことになる。

ゴミステーションの「しきたり」から解放されることは、町内会から解放されることも意味する。これにより、無用な関係性のなかに縛られることはなくなる。休日をドブさらいに使う必要もないということだ。

ゴミの管理が町内会の最後の牙城だった。しかし、市民に「ゴミ捨て場を使わせない」ことは最高裁によって否定された。つぎには、ゴミの分別によって市民に干渉することを考えた。

リサイクルで環境を守れ、と日本中で叫ばれた。実際のところ、日本は世界一ゴミの分別が厳しいが、ゴミの排出量は世界一である。エコとは程遠い国だ(その証拠に電力を食い、空き缶やペットボトルを量産する自動販売機が至るところにある)。

この矛盾した態度は、結局のところ、ゴミ利権と市民統制にあるのだろう。家電を捨てようとすれば「リサイクル料金」とやらでウン千円も取られる。その金の行き先はまったく不透明だ。また、ゴミを市民がチェックし、プライバシーを侵害することが常態化している。

この国は、理性なき国である。公平とか、公正という視点がすっぽり抜け落ちている。

この前も、四国へ旅行へ行ってきたが、神戸から四国までの高速料金で4000円も取られた。ところで、このルートには下道がないのである。四国・神戸間を車やバイクで移動しようというのなら、貧乏人であろうとなんだろうと、4000円を払わねばならない。なんというシステムだろう。

往復8000円?普通の人の給料の、5,6時間分だ。四国神戸間を移動する「通行料」だけでこれだ。こんな話があるか。

問題は、このような料金を制定する行政もそうだが、「なんとなく」払ってしまっている市民の方にもある。つまり、「対話不可能」な市民がうまい具合に作られてしまっているのだ。「これはおかしいよね」というと、「でもそれはしょうがないことだ」と人々はあきらめてしまう。そのために役人に都合のよい生きづらい社会がつくられていく。

実際ぼくが日本で生きていくことを辞めて海外で暮らしたいと思うのは、こうした「対話不可能」な人々のせいである。声を決してあげない日本人のせいである。

ともあれゴミを出せたことはよかった。まともな生活に一歩近づけたと思う。

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