6.14.2015

浮浪人

まったくやる気もクソもない朝だ。

労働の循環が豊かな生活を奪っていく。喜びも、悲しみも、労働という狭い箱庭のなかに求める、そういう人間になってしまったら、これはもうおしまいなのだろう。

喜怒哀楽を労働から得るようにして、そうして、休日は、何をするでもなく、ぼんやりと虚空を見つめるようにして、体力の充足を得て、つぎには、月曜日――次の過酷な労働へと向かう、そんな生活に、順応してしまったとき

人間は死ぬ。

そうだから、慣れないことが大切なのだ。それは、労働に喜びも悲しみを見出さず、ただ労働を労働として見つめ、労働に「やりがい」など求めたりせず、労働とは「苦役」「厄介ごと」「拷問」であることを忘れないこと、それはつまり労働を正しく苦しむこと、つねに今日から仕事についた人であるかのように、とまどい、困惑すること、これが大切なのだ。

この生活が当たり前だ、この生活は私に向いている、そう思ったら、ダメだ、逃れよ、人間の適応とは、怠惰の兆しである。適応とは、無思考である。そうだから、つねに刺すような痛みを認識することだ。この痛みから離れる方向に向かえ、君はつねに針で刺されているのだ、この痛みを認識しなくなれば、やがて化膿し、死に至る。

それでも、ぼくは問う、幸せになってはならないのか、と、幸せとは、25日の給料日のためにあくせく働いて、労働の提供する喜びと悲しみに満足し、余暇の時間はただ仕事のためだけに休息し、その循環の生活を春夏秋冬40回繰り返す程度に続けることである。

世の中のほとんどのひとは、こういう生活なのだからなあ!

たしかに、幸せかもしれない?人々は、もろもろの消費物を買う、家とか、大型バイクとか、高級車、革靴、パチンコ、性風俗、とにかく、消費するものはたくさんある。ぼくらは金のために命を削っている。そうだから、金がもし万能でなかったら、ぼくらは命を無駄遣いしたことになる。

消費は楽しいことだ、消費とは人生のもっとも強烈な喜びだ……「これ、一切なり」と人々は妄計する。でも、命は世界のすべてだけど、金は世界のすべてではない。

――もっとも持たない人間が、もっとも持つ

ということがありうる。貧困に飛び込んだアシジのフランシス。

ぼくの両手はがらあきだが、背嚢にはこれから金が詰め込まれることになっている。この背嚢が、ぼくを殺すのかもしれない。

そうだから、金を得たら、また無一文になることを、宣言しておこう。たぶん、世界旅行によって、貯金はほとんどゼロになるだろう。ぼくはまだ、恵まれている。親戚が寛容なひとで、彼女は元教師なのだが、いざとなったらぼくに金を貸してくれると言っている。祖母も、ぼくが自由に使える金を70万円くらい残してくれている。

だから、働いた金を、すべて旅行につぎ込んで、世界の美しいところと、醜いところと、旅の絶望と希望とを、少なくとも1年、長ければ3,4年――あらゆる時間的制約、年齢とか、無職期間とか、そういう考えを取り払って、長い時間をかけて、身体に染みこませ、精神に染みこませ、もう、死んでもいい――生と死が平等になるくらいの、そういう境地に辿りつきたいものだ。

世界を知ること、知を追求すること、真理を追い求めること、自己にたどり着くこと、これ以上の人間の義務はないだろう。


新しいさすらいのはじめのうちは、取りもどした自由をよろめくようにむさぼりながら、ゴルトムントはまず、旅をするものの、ふるさとも時間も忘れた生活の生き方をふたたび学ばねばならなかった。だれにも従わず、天候と季節にだけ左右され、目標を持たず、屋根をいただかず、何も所有せず、偶然にたいして手放しになって、流浪者たちは、子どもらしい勇敢な、みずぼらしくて強い生活を送る。彼らは、楽園から追われたアダムのむすこである。無邪気な動物の兄弟である。彼らは天の手から、時々刻々、彼らに与えられるものを受け取る。太陽を、雨を、霧を、雪を、暑気と寒気を、安楽と難儀を。――彼らにとっては、時間も歴史も努力も、家を持つものが盲進する発展とか進歩とかいう妙な偶像もなかった。浮浪人は、敏感であるにせよ、粗野であるにせよ、腕達者であるにせよ、無骨であるにせよ、勇敢であるにせよ、臆病であるにせよ、常に彼の心は子どもであり、常に彼は最初の日のように、いっさいの世界歴史の始まり以前のように暮らし、彼の生活はわずかの単純な本能と必要によって導かれる。彼は利口であるにせよ、愚かであるにせよ、いっさいの生活がどんなにもろく無常であるかを、またすべての生き物がそのわずかばかりの暖かい血で氷のように冷たい世界をどんなに貧しく小心翼々と忍んでいるかを深く悟っているにせよ、あるいは、貧しい胃の命令にただ子どものようにがつがつと従っているにせよ、――彼は常に、所有する人間や定住する人間の反対者であり、相いれぬ敵である。所有し定住する人間は、いっさいの存在のはかなさや、いっさいの生命の不断の吸いたいや、われわれをめぐって宇宙をみたしている仮借ない氷のように冷たい死などを想起させられることを欲しないから、彼を憎み、軽蔑し、怖れる。(「知と愛」ヘッセ)

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