6.24.2015

金について

ぼくらは働くことで人生を金にかえる。

しかし人生を金にかえることで、まず経営者に金が行くし、その次には税金として国に持っていかれる。その他、あらゆる企業が、商品が、媚びた悪魔のような顔をして、その金を奪おうとする。

結局、手元に残るのは、わずかな小銭だけで、それはぼくらの人生の対価としては、あまりに小さいものだ。ぼくらは身を粉にして働いて、それで手元には何も残らない、ということがありうる。

金は他者から収奪すべきものであって、まじめに稼ごうと思ってはならない。金はそのように獲得されるものではない。金を得ようと思うなら、まず人を騙さなければならない。それが金本来の性質なのである。

いつからか、まじめにこつこつ働いて、金を得ることが、美徳になった。こんな馬鹿馬鹿しい考えはないのである。こつこつ働くこと、それは無知ゆえの悲劇なのであって、決して正しい道ではない。金の本質を見誤っているからだ。

金持ちは、卑しい。なぜなら、彼らは人々を騙して金をせしめているからだ。しかし、実はこれこそが正しい金の集めかたなのだ。

世の中の商品はほとんどすべてがまやかしだ。スーパーでトマトを買うならいいが、保険商材や英会話教材やビジネス書の99.9%は、ゴミでしかない。ついでに言えば、年金もただの詐欺だ。交通違反の罰金も詐欺だ。

人々は知らず知らずのうちに身包み剥がされている。

人々は、働いた賃金をたいてい、ろくでもないことに使ってしまう。ゲームとか、居酒屋とか、高級車、パチンコ、保険、外国語教室、専門学校、学習塾、賃貸アパート、マイホーム。まあなんでもいいのだが、たいてい金が絡むところには詐術が潜んでいると言っていいだろう。

捨てさせろ
無駄使いさせろ
季節を忘れさせろ
贈り物をさせろ
組み合わせで買わせろ
きっかけを投じろ
流行遅れにさせろ
気安く買わせろ
混乱をつくり出せ
(電通PRの戦略十訓)

現代人が「リアル」だと思っている社会は、現実には上のような原則にしたがって作られている、仮想現実なのである。ぼくらが当たり前のように生きている現実は、すべて、まやかしである。ぼくらの思想や頭脳や精神は、効率よく搾取されるように、改造されている。テレビによって、教育によって。

金はその性質として詐術である。だから、究極的な資本主義社会とは、完全な詐術なのである。

その世界は、すべての人々が、自分を自由だと思い、幸福だと認識し、その実は、ほとんどすべての生命が、奪われており……生き続け、さらに労働を提供するため以外の栄養は、何も与えられない、このような「幸福な病人」が99.9%を占める社会のことなのだ。(ところで、搾取する側も、自分が搾取しているとは次第に思わなくなるから、彼らもまた幸福なのである)

もっとも、これは「最大多数の最大幸福」に適うから、ステキな社会ではある。

上記は別に陰謀論ではなく、民主主義的な資本主義社会の行き着く正常な帰結だ。だからといって、共産主義がいいというわけではない。ぼくは、人間は孤独であるべきだと思うから、そもそも社会には期待していないのだ。だから、社会がどのような形態をとろうと、つねに間違った方向に進む、これは仕方ないことだと思っている。

だれもかれも、金のために働いているのに、金を正しく使うことについては、とんと無知なのだから、おそろしいことだと思う。

明日は給料日だ。


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