6.26.2015

シュレーディンガーの哲学

シュレーディンガーの本を読んでいる。その中に、このような一節がある。

「私は、現にあるがままの私なのだ。私の個性のための場を与えよ。自然が私に教えた本能的衝動に自由な発展あれ。自制も克己も無意味だ、牧師然とした[偽善的な]いかさまだ。神とは自然のことだ。母なる自然は私を、彼女にかなうように、またあるべき(soll)姿に創った。だから、ほかのいかなる当為(Soll)も戯言なのだ。」
これに類した言葉は、いろいろな方面から聞かれるものであり、それは事実に即応した格言としてしばしば言及されているものである。(「わが世界観」)

実に、ぼくの現在の思想はこのようなものである。しかし、シュレーディンガーはこの主張を、「道義性に対する強力で破壊的な攻撃」としている。それで、この考えは根拠薄弱なのだという。

それにもかかわらず、この格言に対する自然科学的根拠は――ありがたいことに――薄弱なものである。今日われわれが有機体の進化から得た洞察によれば、われわれの全生涯は、原初的な自我とのたえまのない闘争であらざるをえないし、実際またそうであるということが、よく理解できると私は思う。(同著、強調原文)

シュレーディンガーの言う「有機体の進化」とは、脳の機能からの洞察である。彼は脳の「記憶」の機能に着目した。われわれは、子供の時期には、自転車の運転や、靴紐の結び方に苦労するけども、いまではまったく無意識的にそれを行うことができる。それらの行為は、それを何百回と繰り返した今では、別段「意識」することなく、完了することができる。

このことから、シュレーディンガーは、われわれの「意識」にのぼる事象とは、新規の行いなのだ、と結論付けた。壁にかけた著名な絵画が、しだいに壁紙の模様と変わらなくなるように、だ。

彼の言いたい有機体進歩とは、現在の我々が靴紐を容易に結ぶことができるように、日常のさまざまな課題を克服し、それを無意識下においやり、つぎの新しい、より複雑な課題に対処するよう「成長」することなのだろう。

これはシュレーディンガーの特異な思想である。

つまり<われわれ>は進化しているのである。<われわれ>人間は、依然としてフル稼業の状態で、日々少しずつ糧[=人間]の進化を遂行している。事実個々の人生、すなわち個々人の日常生活は、たとえそれがいかにとるにたらないものであっても、種の微々たる進化を表現しているのである。(同著)

先ほど、ぼくの自然主義的な価値観を思いっきり否定されたが、この「進歩に与する」という考え方は、理解できなくはない……というか、ぼくも同様の価値観を持っていた。

去年の10月だ。
著名な芸術作品や哲学のような、「不滅」なものに触れる人は、ひとつの宿命を背負う。芸術作品を鑑賞すると、ぼくらはその美しさや楽しさに子どものようにはしゃいで飛び跳ねるけども、決してそれだけで終わるのではない。彼らの作品が与えるすばらしさの中にはあるメッセージが含まれている。それは彼らが生涯をかけて追求した「人類の全般的進歩に貢献する」という使命を果たせ、という義務である。
だから、読むことでも聴くことでも、ぼくらが芸術作品に触れるとき、無意識にある思念を「引き継いでいる」のである。過去の偉人たちが言う。ここまでが私の仕事だった、ここからは君の――というわけだ。父の大事に整備した田畑を子が引き継がねばならないように。 (前を向くこと

いつからかこのような認識は欠落して、シュレーディンガーの言う「道義に対する攻撃的な思想」に染まってしまったようだ。

でも、ぼくとしては、究極的な自然というのは、決して道徳に背くものでないと考える。シュレーディンガーは、「われなすべし」「われ欲す」を切り分け、両者の矛盾的関係を解きほぐそうとしたのだが、ぼくからすれば、この両者は究極的には同一のものであると思う。

つまり、個人の意志としては、自然主義的思想から行為するとしても、行為の結果として、人類の全般的進歩に与するということがありうる。

実のところ、ぼくらが自然的傾向を持とうとするとき、それは怠惰やエゴというよりも、かえって義務感からなされるものでありうる。それ現在主流の思想に対する革命的感情であって……道義に対する攻撃が「エゴ」や「怠惰」であるならば、それはむしろ非自然的領域の方にたぶんに含まれているように感じる。

人間生来の性質が、進歩を志すものであるなら、人間はただ自然であることによって、その進歩を行うことができるのではないか。それは靴紐を結ぶがごとく、無意識的にだ。



というようなことを考えたが、いまいち了解できない。だいたい、「我が世界観」は読み切っていないのだが、あまりにも正面からシュレーディンガーに全否定されたので、ちょっと書いてみた。

今日は気圧が乱れていて、体調が悪い。仕事でもミスをたくさんするのだろう。

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