6.03.2015

水と油

雨の日や曇りの日は最高に気分が悪くなる。

社会に適合した感覚、幸福感というものも、実はぼくの腹の上のただ1cmの脂肪に由来するものに過ぎないことがわかった。

脂肪がつくと、近くのものしか見えなくなるようだ。遠く先の理想とか、永遠不滅への憧れは、1cmの脂肪で遮断される。目の前の食事、目の前の快楽、目の前の賃金が、すべてになる。

そうだから、宗教家は禁欲に励むのかもしれない。太った宗教家など、インチキだ。痩せた力士がインチキなのと同じで。

脂肪の鎧は、日常をごく当たり前に過ごすことを助けてくれる。それだけでなく、脂肪はなんらかの快楽物質を、精神にまぜているようだ。それはたぶん、生肯定的な感じをもたらすものに違いない。

ところで生を肯定的にとらえること、これはほとんどの場合錯誤なのだから、これを厳しく戒めねばならない。生きやすいということは、間違っているということだ。

Untitled (from the series Still Water (The River Thames, for Example)) - Roni Horn, 1999


水の印が好きだ。昼休みは車を走らせて、海の近くまでいく。そこで海風を受けながら、ご飯を食べることにしている。日常的にも、水をがぶがぶ飲んで、顔を頻繁に洗うようにしている。仕事から帰ってくれば、ぬるくわかした風呂に一時間程度入るようにしている。

視野や皮膚や消化器……に水を行き渡らせると、精神からギトギトした感じがなくなって、だいぶ良い気分になるものだ。油は水とは相容れない。

そういうわけで脂肪を落とす試みを考えている。

その前に、なぜ太ったか。おそらく、年齢的なものだろう。この年齢にもなると、何を食べても脂肪がつかない、ということにはならなくなる。だいたい、年をとると誰でも脂肪がついてくるものだ。

だから、25歳を過ぎたあたりから、ひとが太ってくるのはある意味であたり前で、悪いことではない。女性であればなおそうだ。

でも、先に述べたように、ある霊感は、脂肪によって遮断されてしまうものであるらしい。いわば水の印が、はじかれて、入ってこなくなる。そうしてひとは幸福になってしまう。

水が与えるのは知性であって、油が与えるのは痴愚である、そんな気がしている。当然、知は苦しみであり、痴愚とは安楽なのだが・・・。

女たちが過度に痩せようと試みる現象を、単なるファッションへの憧れと片付けるのは、早計だろう。彼女たちが求めているのはある霊感のような気がする。

なんだかバカバカしいスピリチュアルのようだが、ともかく、痩せようと思う。そう思って、最近自転車を買った。これで通勤するようにしたら、痩せてくるのかもしれない。

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