6.10.2015

この国の急所

この国は「みなさまの善意」でなりたっているのだ、とふと思った。

もう何百回言及するかわからないが、町内会にはゴミ捨て場の管理という使命がある。

これは出されたゴミが分別されているか検査する仕事であり、ゴミ出しの時間が守られているかチェックする仕事であり、カラスからゴミを荒らされるのを守るというような、けっこう身体を張った仕事である。

ところで、分別されたゴミはほとんどすべてが一緒に燃やされてしまうし、ゴミ捨て場が他国のようにコンテナ型になれば、人はカラスと戦う必要もなくなる。そうだから、道端にゴミ袋が露出しているスラムのような光景は実は日本だけのものだし、他国ではゴミの管理はたいてい行政か民間企業の仕事で、市民の「自治」に任されることはない。

町内会は「任意団体」である。構成員の全員が、主体的な意志をもって構成している団体であり、わかりやすい例では大学におけるサークルが任意団体である。

つまり、町内会はまずもって「善意」で成り立ってるということができるだろう。なにしろゴミの管理を「愛好」する人なんていないのだから、その行動を説明するには善意しか浮かばない。

ところで、市役所はこの町内会の「善意」をはじめから当て込んでいるようだ。

町内会は電柱につけられた電灯の電気料金、電球交換までするから、町内会に入ることを拒絶した家の周辺は、夜になると真っ暗になる、ということがある。

しかし、任意団体に入らないというだけで、いまどき家の周りに外灯をつけてもらえない……というひどい扱いは、法的に認められるものではない。

それは当然で、本来はゴミ捨て場の管理や、電柱の管理は、行政の仕事なのである。公的な仕事は公務員がやる、とは、よく考えてみれば当たり前である。だから、別に町内会に入らなくても申請すれば電灯はつく。

大半の町内会は任意団体である以上、一切の義務を持たないと同時に、一切の権利もまたもたない。これを知っておくと、町内会トラブルに悩むひとはだいぶ楽になるだろう。

町内会と市役所の関係は不可解だが、しかし不可解なものを不可解として認めなければならないのだろう。



ところで、この町内会の構造はそのまま企業体制に当てはめられるのではないか、と就職してから気づいた。日本でサービス残業が蔓延するのは、経営者の圧力だったり、巧みな扇動によるものではない。それよりも、意外なことに、サービス残業はぼくらの「善意」なのだ。

それは、「みんなでこの会社をよくしよう」という善意で、町内会の「みんなで地域をよくしよう」という精神とよく似ている。経営者(町内会でいうところの市役所)は、社員が残業しないからといって戒めることはない。それよりも同じ立場の社員が、もっとも強く圧力をかける。

会社愛、地域愛、愛国心……この種の同調圧力が、日本のいたるところで機能しているのだろう。この圧力は、善意の強制であり、端的な例では、世界がぎょっとした「食べて応援」である。

この善意は、何よりも「統治」のために利用されている。町内会も、サービス残業も、日本の優れた統治の副作用と言うことができる。

だから、「ブラック企業」、「町内会」といったシステムは、これは永遠に是正されない。

町内会やブラック企業が是正されたとき、つまり「統治」と「司法」の力関係が逆転したときに、国家統制が破れ、この国は崩壊するのだろう。あんがい町内会やブラック企業は、日本の起爆点とも言える急所なのかもしれない。善意の構造が崩壊すれば、それは同時に統治の崩壊を意味するのだから。

長くなった上にぜんぜんまとまっていないのだが、とりあえず残しておこう。もう少し煮詰めてみたい。

1 件のコメント: