6.04.2015

仕事の下手な日本人

日本人の労働観は醜悪きわまる。

今している労働がかなり過酷なので、疲れが溜まってしかたない。やっていることは単調な事務作業なのだが、ひとつにはその単調さそのものがぼくを苦しめるのだし、もうひとつは労働の環境が劣悪すぎる。

仕事の単調さはまあしかたがない。単調な仕事などいくらでもあるし、ふつう仕事とは単調なものだ。

労働の環境、これはいかんともしがたい。

ぼくは労働に向いていない。労働に向いていないから、労働を最大限効率化する術を知っている。

事実、学業という知的労働において、ぼくが人並み少し上の成績をあげたのは、この効率化のおかげであった。

それは例えば、静謐な環境で作業すること、適度に音楽を流すこと、一時間に5分はコーヒーブレイクをすること、昼食後は半時間仮眠すること、気が向いたら散歩などの軽い運動をすること、ときには人と雑談すること。

これらの行為は、少なくともぼくの労働効率をあげるためには必須であった。

ところが、それが許されない空気が労働現場にはある。

伸びをして目をつむり、身体を休ませることも、コーヒーひとつ飲むのも、なんだか遠慮せねばならない。当然ながら外に散歩へなどいけない。行動はつねに監督されている。この感じが、たまらなく嫌だ。

たとえば12時からの昼休憩が終わって、13時から仕事の終わる18時までの5時間、無休憩ではたらかなければならない。

これが工場のようなライン作業ではなくて、時間的拘束の少ない事務作業だというのだから乾いた笑いが出る。5時間?

人の集中力は90分しか持たないというのは、有名だ。当然ながら、効率は最低にまで落ちて、無駄なストレスを蓄積させねばならない。

日本人の労働は、いつまで「バイト感覚」なのだろう、と思う。つまり、「給料が発生している時間は働く」という固定観念に縛られている。そのこと自体が労働生産性を損なうことも多いのだが、人はかたくなに信奉しているようだ。

ぼくらが経営者に出さなければいけないのは「成果」であって、「労働」ではないはずである。そうして、経営者が求めるべきものも同様である。

ところが、適度に休みながら100の成果をあげるよりも、黙々とPCデスクにへばりついて80の成果をあげる人間の方が評価は高い、となる。80の人間は「がんばっている」「熱意がある」「けなげだ」となる。ついでに残業してくれればなおいい。

アホか。ただの無能じゃないか。

日本の一人当たりGDPは低い。経済的に破綻寸前のスペインと同列にある。その理由はこういうところにある。みな、仕事をする「振り」ばかりしている。そうして、それを仕事だと思っている。

端的には、仕事とは、手指を動かし、休まないことだと思っている。上司の顔色を伺うことだと思っている。労働は苦役だと思っている。イヤイヤながらすることだと思っている。

だから労働の効率化なんてしてはならないことだし、そんなことを考える奴は、まじめに仕事をしていない、と評価される。

「労働の効率化を提案する人間が阻害される」。このバカみたいな現状が、日本式ファシズムだ。

労働の目的はただ成果を出すことだ……という、この観点が驚くほど欠落している。欧米国が特別に成果主義なのではない。中国でも、インドでも、世界中どこでも成果主義だ。仕事が成果を出すべきものというのは、当たり前の前提だ。

こんな国が経済大国だというのだから、笑ってしまう。まあ、もう沈みかけだが。

今日も仕事へ行こう。今日と、明日を塗りつぶしてしまえば、休みが待っているのだから・・・。


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