6.05.2015

あわない仕事

労働の循環が私を苦しめる。

合わない仕事というのは存在する。

ぼくの今週から与えられた仕事は、単純な事務作業、ひとつの作業をするのに1~2分かかり、それを日に3~400回繰り返す。

この作業は、まことに辛いものがある。

体感では、そこまで辛くはないのだ、座って、マウスとキーボードをぽちぽちとやっていればいいのだ。

そう、辛くはない。だから、昨日は労働から解放されると、新しく買った自転車であちこち散策して、星と風を楽しみ、そのあとに風呂で清水真木の本を読んで、次には刺身と地産のニンニクを料理して食べて、酒を飲んで寝た。

そこまでは幸福だったけど、寝たあとに、絶望しかないような夢を見た、だれからも嫌われ、排斥されるような夢、ぼくが泣き叫ぶのを、だれもが喜んでいるような夢を、絶望にひざまずき、死の不安に苛まれるような夢を、それぞれ見た。

このような夢は、久しぶりのものだった。長い長い、鮮明な夢だった。

朝起きて、怖くなった。ここまでぼくの精神は蝕まれていたのかと思う。日常のぼくは平気でいるのに、夢がやっとぼくの精神の損傷を教えてくれたわけだ。

――大嫌いな仕事より
少し合わない仕事の方が
危険だ

気づいたときには
手遅れだから

労働は、少しずつ精神を蝕んでいく、それでも、人間は、さまざまな状況に適合してしまう。先週までしていた仕事は、ぼくにとって受け入れられるものだ。今週からの仕事は、ぼくには、「少し」向いていない……つまり、それだけにぼくを苦しめるものであることをぼくは悟った。

考えてみれば、最近車の運転中に、過度に怒りっぽくなったり、料理中に食材をぶちまけたり、大事なことを忘れることが多かった。あの一連の変化が、精神が蝕まれている徴候だったのだと思う。

ぼくの同世代は、三日で仕事を辞めてしまうとか言われて、顰蹙を買っているけど、たぶん彼らの防衛本能が正常に機能しているのだと考える。センパイ方の言うとおり、仕事を長く続けて、慣れてしまえば、そこにはある適合=鈍化が生まれて、一時的には楽になるだろう。

それでも、気づいたときには手遅れ、なのだ。その顛末は、精神を崩壊させて不幸な道を歩むか、自殺するか、だ。じわじわとなぶり殺しだ。だから、早く辞めるしかないのだ。

――病気の人間が、健康人を笑う。

――若さとは、健康であることだ。

――健康であることは、少数であることだ。


この仕事が終われば、一時的に与えられているだけで、仕事量から考えて、来週中には終えてしまうつもりだ。

それが終われば、いままで二ヶ月の、牧歌的な労働生活が待っている、当時は辛いと思っていたが、今考えれば、それはそれは幸福な生活だ。それだから、ようやく耐えられる。

少し、力を抜こう。

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