6.07.2015

田舎生活と展望

田舎の生活をしてよかったと思うことは……とにかくあらゆるものが無償で手に入るものだと、知ったことにある。

例えば、「海」だとか、「空」だとかを眺めるためには、特に月額利用料がかかるわけではない……。

そうして、田舎の利点とは、永遠性を如実に知ることにある。

永遠性とは、昔からそこにあったもので、これからもそこにあるだろうものである。

それは、潮の満ち引きであったり、星の輝きであったりする。

海を眺めれば、古人や未来の人々との共感を得ることができる。

なぜなら人間は海や空とつねに共にあったのであり、これからも常にあるだろうからだ。

肝心なことは、ぼくらはその情景をすでに与えられている、ということで……。

美しい自然の情景に比べれば、芸術作品は、何もかも陳腐だ。

草木と人間の関係はすばらしいものがある。ぜひ山に登ってくださいと思う。ぜひ海を眺めてください、ぜひ木々に囲まれてください。人間に囲まれ、人間によじ登り、人間ばかり眺めているひとがいるけど、そんなことをしていたら病気になるのは当然なのですよ。

人間の海が、人間の山が、人間の森が、都市なのだろう。肉と骨との猥雑な騒音のかたまりが都市だ。そこでは、海は汚れ、太陽は死ぬ。

最近、田舎暮らしがブームのようだ。若者と老人の両方でブームは起きているという。でも、たいていはうまくいかないだろう。

ぼくは少し恵まれていた。収入源があるのだから。

そうして、孤独であることに特に不満を持たないから。無教養な人、高齢者ばかりの田舎でも、やっていける。本を読んでれば、孤独はない。

それでも、都市部にはもう戻ろうとは思わない。少なくとも、日本の都市は、搾取と放蕩の場で、滅びる前のローマを思わせる。

だいたい、収入の1/3が家賃ってどういうことだ?税金が少なく見積もって1/3なのである。そうだから、手元に残るのは働いた金の1/3・・・。ワーキングプアも増えるはずである。

都市部は、単純に、笑顔の人が少ない。本当に少ない。

もっとも、田舎のすべてが良いわけではない。だが、孤独に生きたい人間には、実に快適のようである。孤独「に」逃げ込める場がたくさんある。喫茶店の不味いコーヒーに800円払う必要もない。



昨日までの憂鬱は、自転車に乗って3,40km走ることで解決された。それは海沿いのルートで、車のほとんどない、美しい道だった。

最近の書く内容は陳腐で、明晰さに欠ける。日常のことばかりだ、と思う。25歳くらいから、人は読書などしなくなるものかもしれない。ただ本のありがたみだとか、本のすばらしさを知ってはいるけど、それに手をつける時間が減ってしまった。

突然ぼくに30日の休暇が与えられたとしても、読める本はせいぜい2,3冊だろう。がっぷり四つに組んで本に取り組むことは少なくなった。

実際的な世界に飛び込め、ということなのかもしれない。

最近生きる道を考えている。

どう生きるか。

ひとつは、勤続二年くらいで今の仕事を辞めて、世界を放浪することである。

もうひとつは、勤続五年くらいで今の仕事を辞めて、独立することである。

別に今の仕事に不満はない。たまの休日出勤はあるが、そこそこホワイトだし(8.5時間労働)、給料は高く、手当ても十分で、社員が少ないから、大事にされるようである。

それでも、ぼくの定住できない性質が、ぼくを追い込むだろう。

ぼくは社員というよりは経営者に向いている、と思う。とにかく仕事ができないのだから、だれかに助けてもらう他ないのである。そうして、リーダーとはある種の欠乏がないと、務まらないものだ。

なぜなら、集団の持つ根源的意味は、助け合いだから……ぼくは無能だから、みなさん助けてください、と言える人が、もっとも経営者に向いているのだと思う……。

「俺は有能だから、ついてこい!」なんて奴は、最悪の経営者だろう……。たいてい、ワンマンで、社員は振りまわされるから、最初はよくとも、経営が傾いてしまう。

とにかく、経営者となってしまえば……。
そうすれば、静謐な環境で、落ち着いて仕事ができるのだと考える。プライバシーの確保された社長室で、一日5時間程度で仕事を終わらせて、あとは読書という生活もできるかもしれない?

夢物語だろうか。

別に金が欲しいわけではない。ぼくが欲しいのは金よりも自由で……。そうだから、売り上げに血眼あげることはない。なんだか楽しそうで、現実逃避なのかもしれないが、いろいろ考えてしまう。

でも、現実的には、放浪旅行の方が先だろう。人間に栄養を与えるという意味では、旅行は実にいいものだ。当然、一人で……。安宿に泊まる、貧乏旅でなければならない。孤独な異人の旅。

ぼくが行ったことのある国は少ない。西欧に憧れるけど、西欧に行ったことはない。アメリカに行ったこともない。何も知ってはいないのだ。そうだから、1年か2年くらい、ぶらぶらとあてのない旅をしてみたい、と思う。

それは、金と暇を得ることのできる六十歳以降では、ぜったいにダメなのだ。精神もしわがれて、何も吸収できないし、それを活かす場も、すでにないのだ。

などと、将来設計を考えてみた。ようやく、精神が持ち直してきた。昨日は、働きながらうつ病に似た症状が出て、自分でも驚いた。つまり、身体が麻痺したように動かなくなり、声を出すことすらままならないのである。

ひとは簡単に欝に落ち込むものだ。

そうだから、自分の精神の健康はきちんと見守らなければならない……。精神を守るのは、まず自分でなければならない。だれかを責め立てても、それはしょうがないことだ。

今日は、何をしようか。また自転車で出かけてみようかな、と思う。

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