6.06.2015

hard times

仕事が、つらい。

昨日は8:30に出社して、20:30に仕事を終えた、労働時間は11時間、だ。そうして、そのあと、上司とご飯を食べにいった、嫌だったけど、断る気力もなかった。

ぼくには、わからない、どうして仕事で全てを出し切ることが当たり前とされているのだろう。仕事で100%の力を放出しきることが当たり前で、それが求められるのだろう。人間は、働くために生きてるのではないだろうに。

上司は毎日23時に帰っていて、オーナーや社長からの評価が非常に高い人だ。遅くまで仕事をしているから、毎日コンビニ弁当だし、ほとんどない休日には、寝ているだけなのだという。

彼のような人間が、実際にはたいへん標準的な日本人なのではないか、と考えたりする。

彼と話をしていても、空漠で、高校生と会話しているような気分になる、実際の年齢は六十歳を越えているのだが、まるで子どものように感じるときもある。

昨日、ほとんどはじめて、11時間の労働をしてみたけど、磨耗した精神のなかで感じるのは、猛烈な「褒められたい」という感情であった、ぼくはがんばっているのだから、それは評価されるべきだ、という感情。

実に不当な労働時間ではあるけど、たとえば社長に「お疲れ様」と100円の缶コーヒーでも与えられたら、ぼくは仕事をがんばってよかった、と思ってしまうかもしれない。よし、明日も11時間はたらこうという気になるかもしれない。

これが、実に怖いことだ。

長時間の労働は、思考を鈍磨させる、欠乏した精神が、免疫力を弱める、そうして、他者にうまいことつけ込まれてしまう。

洗脳のプロセスは、まず徹底的に精神を疲弊させることだ。精神を粉々にして、そこに教条を叩き込む。これは新興宗教でも、大企業でも、必ず行われていることだ。

警戒、警戒することだ!サボれ。精神の危機を感じたら、サボれ。身を守るんだ……。

この国では10時間以上もはたらくことが当たり前だが、一日に7時間しかはたらかない国にも経済的に負けている。

なんだか一億総玉砕とかやっている国が、志願制のアメリカにころっと潰されるような惨めさを、追体験しているように思う。

実際、ぼくらの払っている税金は、株価をあげるために使われている。実に、一億総玉砕の精神だ。

やはり、海外に移住するということが、望ましいことのように思う、そう思わないと、ぼくの精神はやりきれない。この国、ほんとうにだめだ。

ネズミが危機を肌で感じるように、ぼくも皮膚感覚で恐怖を感じている、この国は、いつかとんでもないことになる、そしてそのいつかは近いうちなのだと。

ぼくはニュースを見ないから、逆にわかると言える気がする。本来、世の中の動きは、文字や映像ではなく、肌で感じることなのだろう。

ともあれ今日も仕事であって、ぼくは、へとへとの身体を鞭打って、職場に向かわなければならない。休日出勤は、わずかな給料は出るけど、やりきれないものだ。

ぼくが本を読んで脳内にインプットした、いろんな思想家や、宗教家や、科学者や、芸術家たちが、みんな、今のぼくの状況について、「違う」「違う」とささやいてくる。お前の生活は、正しくない、と。お前の生活はそうあってはならない、と。

ぼくの精神は、彼らのおかげで均衡を保っている、本当に、読書が、ぼくの精神を救ってくれている。そうでなければ、簡単に会社に精神を支配されて、あの俗物的上司のようになってしまうだろう。

一日10時間の労働は、人間を潰してしまう。一日8時間の労働でも、厳しいものだ。一日3~4時間程度であれば、ひとは「ゆたかな生活」を得られるだろう。事実、ひとは昔からそれくらいしか働いてなかったのだ。

金に興味はない。金から解放されるという意味での、金以外に興味はない。ぼくが求めるのは、知ることだ。知ることが、単調な労働からぼくを救ってくれるように、実に知こそ力なれば、だ。ひとは精神において自由になれる。

実に、多くの若い芸術家や音楽家が、労働のために、才能を台無しにしてしまったのだろう。成功した芸術家は、たいてい、富裕層の出身だ。労働からははじめから解放されている身分だ。

一日何時間も労働に費やしていれば、人間はダメになってしまう、潰され、芽を摘み取られてしまう。

暴力がこの世を支配している。ただ生きることを肯定しない社会は狂気だ。すぐに終焉を迎えるだろう。




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