7.17.2015

脳のリビドー

何もかも自信が持てずに、あらゆる拠り所もなしに、さまようように生きている。

面の皮が薄い。私の環境はおそらく日本の労働環境のなかではかなり恵まれた方がと思う。楽だ。おとといなどは、あまりに暇だったので、勤務時間中にゲーテを読んでいた。

それでも、少しの人間関係の阻害感があると、やりきれない不安に陥る。きっかけはいくらでもある。

昨日は、ある女の夢を見た。大学時代……去年の今くらいに、付き合っていた女だ。距離的に離れても、彼女が依然私を支配しているということは、不思議なことだ。

あの女は、男を妊娠させる女、そういうタイプだ。ルー・ザロメ的な。だから、受胎した私は、つわりの苦しみを抱えていかなければならない……この例えは気持ち悪いな。昔、ジュニアっていうシュワちゃんが妊娠する映画があったけど。

人間とは遠く離れていたいが、結局のところ、人間との関係が全てを生んでいる。意味とは、人間に関することだ。実存とは、人間に関することだ。孤独もまた、人間との距離感を示すもので、断絶では決してない。

自分の蓄えた豊かなものは、だれかに分け与えるのでなければ、意味がない。

こういう倫理的な領域に、最近ようやく達せたようだ。思春期的な高慢さはいよいよ卒業したというわけだ。少しつまらない人間になることを意味する。

ゲーテ曰く、天才は青春を何度も経験するということだが、私は天才ではなかった、ということだろう。もう、苦しく真理に近かったあの一時代は、訪れないような気がする。

最近はいろいろな夢衝動理想にふり回されることが嫌で、もうなるようになるしかないんだから、水のように、ただ引力に従って生きてみよう、と考えている。

孤独、それがやはり大事だと思う、自分の声に耳を傾ける、もっともゆたかな時間、これを大切にしなければならない。

よい本を読んで何時間かすると、ふと本を机において、虚空を眺めたくなるようなときが訪れる。そのとき、表層的・理論的・記号的な思考はなされないのだが、脳は非常に大きな働きをしていて、無意識的な領域ですべてが統合されるような、莫大な計算がなされるような感覚に陥る。

そのあとしばらくは夢心地で、脳の機能がアップデートされたような新鮮な気分になる(この効果は二時間くらい続き、車の運転をすると危険なのでしばらく休む必要がある)。

いわば脳のリビドー的瞬間であるが、これは月に一回くらいあるようである。マズロー的に言えば超体験なのだろう。

性的なリビドーと同じで、ムードが必要だ。静寂で雑音なく、孤独でなければならない。しかし、他者は必要だ。遠くに同じように読書にいそしむ幾人かが背景として必要だ。また、ある程度体調が良好であることが要求される。

現在であれば、地域の図書館であり、以前であれば大学の自習室でこのリビドーを体験した。不思議なことに、ひとりで読書にしているときはこのすばらしい体験は得られないのである。

考えてみると、禅の瞑想などもこの体験を追求しているのかもしれない。禅の瞑想は、意外と集団的である。つまり、座禅を行う寺などでは、何十人もの禅僧が集まり、一斉に座禅を組む。

もっとも個人的と思われる真理の探求の瞬間が、集団に対して開かれていなければならないようだ。



最近集団的自衛権がどうのこうので、騒がしくなっているが、日本が民主主義だったことはないし、「強い国」を国是としているのだから、今さら驚くことでもないと思う。

不可解な国、ニッポン、この国の不思議は、ほとんどが「嘘」からきている。だれもかれも平気で嘘をつくので、ついには本当のことが、だれにも見えなくなってしまった。

「アンダーコントロール」「食べて応援」などの名文句は、国益のためなら虚偽が許されるという証拠になっている。

嘘、これがこの国の唯一の法なのだ。日本中に巣食う嘘、これはどこから来たのか?

なんとなくだが、原因は、天皇制にあると考えている。皇室の嘘を正せば、国は正直になるだろう。虚偽の結界としての皇室。

仕事に行こう。風が強い。






















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