7.02.2015

醜悪な日本の都市景観

冗談のように、時代遅れの国だと思う。

アレックス・カーの「ニッポン景観論」を読んだ。たっぷり皮肉をもってして、近代以降の日本が、美しい景観をいかに破壊してきたかを論じている。

日本の景観は実に醜悪である。そんなことは、少し海外に行ったことのある人や、あるいは日本に観光にきた外国人なら、だれでもわかっているはずだ(韓国、台湾、中国は日本並みに汚いので除く)。

とにかく、ケバケバしい原色の看板と、空に絡みついたような電線が醜悪極まりない。

原色を使わなければ気がすまないらしい。

これは地方都市も同様で、看板だらけ、電柱だらけ。緑はなく、家がごみごみと密集し、雑多でスラムのようである。国内旅行が趣味の人ならわかるだろうが、これは日本全国どこへ行っても同じだ。
 
この光景は47都道府県すべてに見られる。
住宅街は「過密」と「雑多」の二原則によって作られる。


自然豊かな渓谷も日本人の手によって美しく生まれ変わる。

なかには、こういう情景にも過剰適応してしまう人がいる。「電線は日本の風土に溶け込んでいる」。電線は美しい、とまで言う人がいる。

こういう人は、いったんモニターから目を離して、パソコン周りのコードを見て欲しい。

日本の原風景

実のところ、日本の都市景観はこの絡まったPCケーブルレベルである。


まあ、どんな世の中でもそれに迎合して、溶け込んでしまう人がいる。自分がおかれている状況に、何の疑問も抱けない人はいくらでもいるものだ。そういう人は、いつも言っているように「サイコパス」なのであって、自分の腕が切り落とされていることにも気づかないタイプである。

ぼくは、日本を醜悪な国だと思うが、意外なことには、上のような「適合者」がたくさんいるらしい。かれらは日本は快適で豊かな国だと、本当に思っている。

ぼくは聴覚過敏をわずらっていて、全体的に神経質である。細かい痛みに弱いのである。つまり、音だけでなく、上のような貧困な情景や、視覚の雑多さに、けっこう苦しめられてしまうのだ。

アレックス・カーによれば、日本の醜悪な情景は「工業」を最優先させ、それから抜け出せない日本人の性質に依るものだとしている。電線も、看板も、無駄な公共工事も、昔は先進性・豊かさの象徴だったのだろう。

この日本の醜悪さは、結局、劣悪な労働環境や、騒音地獄のような、あらゆる慣例的な悪習とつながっているのだろう。

ぼくは、日本の都市景観はもちろん、日本のうるさいスーパーマーケットも、日本の労働環境も、醜い軽自動車やミニバンも、日本人の大半も大嫌いである。ぼくは日本の伝統的な文化は好きだし、興味もあるが、大半は近代以降ことごとく破壊されてしまったようだ。

美しい景観の都市に住みたい……静かな環境で暮らしたい……という人間はどうすればよいのだろうか?

実のところ、日本でも高級住宅街のような場はあるが、おそろしく金がかかるのが現実である。それに、一歩敷地を抜け出せばまた醜い風景と戦わなければならない。

そうだから、金持ちになるか、海外移住という選択肢が生まれるのだが、海外移住の方が楽だという風に思うのだ。



移住を考えると、少し気が楽になる。今を耐え忍ぶことができる。都市から田舎への移住は、完全ではないが、ぼくの生活を楽にした。同様の効果が海外移住にも望めるだろうと思う。

問題は、仕事、というだけで……。十分な収入源、これがないといけない。もっとも、海外ではアルバイトでも時給1500~2000円だというのだから、食えないことはないのだろうが。

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