7.04.2015

10数万円のデスク

デスクの購入を検討している。

いまの候補は、デンマークからの輸入デスク。10~20万円が相場だ。

この丸みを帯びた、月並みだが「遊び心にとんだ」デザインに、少し惚れつつある。



家具は、総じて、丸みを帯びるべきだ、というのが、ミッドセンチュリーの基本理念であるらしい。合理的に考えれば部屋はどうやってもたいてい直方体で「四角い」のであるし、家具もそれに準拠するのが自然だ。

それに、直線的なデザインと曲線的なデザインでは、その生産コストも段違いである。楕円に削りだすだけでも何倍のコストがかかる。しかしそれでも曲線的デザインを追求したのは、この時代特有の考えであると思う。

当時のデザイナーは、心底「人間の生活を豊かにする」ということを考えていたのだろうと思うし、またそれが許容されるだけのひとびとの根本的な豊かさ、余裕のようなものがあったのだろう。

角ばったデスクは、人間の心を少しずつ傷つけていく――もっとも、こんなことをわめいても狂人扱いされるだけだ。しかし、狂人の方がずっと(過剰に)人間的である、というのがぼくの考えである。

われわれはもっと神経症・恐怖症患者の声をきかねばならない。先端恐怖症はいても、丸み恐怖症は存在しない。彼らはいたずらに[無根拠に]怖がっているのではない。人と同じ感性をもっている。だが、彼らは人よりも「我慢ならない」のである。

「ゆでがえる」の例が表すように、人は少しずつ肉体的・精神的に侵害されていっても、たいていの人は気づかないものであるらしい。だから、机の角が90度であることや、消費税が8%であることや、日本の景観が醜悪であり、騒音も世界一であること、などは、声をあげて叫んでも無視されてしまう。

憂鬱や自殺の原因を、恋人との離別や、肉親との死別のようなわかりやすいエピソードに帰着させようとする人は多いが(精神科医)、実際のところは日常の小さなダメージ、ドラクエの毒状態のようなストレスが、ひとを絶望に追い込んでいくこともありうる。彼らのHPはすでに1なので、ちょっとした精神的アクシデントで死に追い込まれるのである。

ぼくらは、四角いものよりも丸いものを好む。だから、ミッドセンチュリーの家具は革新的であったのであり、永続するものなのだと感じる。まあ、デザインなどまるで勉強したことがないからざれごとだ。



働きだして一年にもならないぼくが、10数万円の家具を買うことは、なにか後ろめたい気分を感じるものだ。人はこう考えるかもしれない、お前は富裕層だ、と。

たしかにぼくの経済的状況は恵まれている。このことを否定しようとは思わない。ぼくは金持ちなのに貧民の振りをする人や、貧民なのに見栄を張っている人間が大嫌いだ。ぼくは富んでいる。これからも、おそらく富むだろう。

考えてみれば、四月にはドラム式洗濯機を買い、軽自動車を買い、ルンバを買った。次にはちょっとお高いデスクだ。このようなことは、ふつうの社会人には難しいに違いない。

しかし、世の中には金をドブに捨ててる人も少なくない。彼らの方が、ぼくから見れば信じられないほど富んでいる。たとえば、自転車に100万円かけたり、自動車に数千万円をかける人がいる。腕時計のような、あってもなくても変わらないような代物に、100万円をかける。ただの革靴に10万円とか、スーツに50万円とか、テレビにウン十万円、仮設住宅のように貧相なマイホームに数千万円、たかが料理に数千円をかけたり、ちょっとした宴会だけで、数万円をかけたりする。彼らは、海外旅行へ行くにも割高のパック旅行をして、自前での旅行の何倍もの費用をかけていて、何種類もの保険に入って、生活を圧迫している。

このような人々の信じられない浪費を考えると、ぼくがデスクを買うことはとてもかわいげのあることのように思う。

……

以下、デスクを買う経済性を1000字くらい書いたのだが、それらはPCの電源コードのせいで全部消えてしまった。すごくがっかりした。

今日は、土曜日なので、車を海沿いにでも止めて、読書してこよう。

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