7.25.2015

compensation

いったい世の中の人々が、自分の人生にどのように折り合いをつけて生きているか、教えてもらいたいものだ。

画家になるべき、音楽家になるべき人々、いや、絵を描くべき、音楽をやるべき人々、繊細な神経を持ち、美しさに敏感で、人には見えないものが見える人々、こうした人々が、生きる必要に迫られて、人生を投げ捨ててしまう、そうしてだれかのために人生を切り売りする。

本来は、絵筆を握るべき手指がハンマーを握り、鍵盤を打ちつけるべき手指がキーボードを叩いているわけだが、こういう人々は、どう人生を慰めているのですか。

これは、私の人生ではなかった。だれかのための人生だった、でも、だれだって自分のために生きられているわけではない、それは彼のような主人も私のような奴隷も同じなのだ、夢物語は捨てよ、イデアには到達できない、恐ろしく雑多で恐ろしく何もないーーそれが人生の内容物だ。

そう考えているのですか。

私の人生は、すでに何でもないもの、過ぎ去ったもの、わずかな賃金で、わずかな消費を楽しみに生きていくもの、少しずつ快適になる人生、少しずつ豊かになる人生、これ以上望むべくもない。私には友人がいる、同じ時代に生きて、同じように人生を生きている人々、彼らもまた、人生に諦めているのだし、生きることに、たいして価値を認めていないのだ、彼らの友人も、そのまた友人も、同じだ。ああでも、女にモテる奴、金持ち、お偉いさんは羨ましい。彼らは生きているからね、人生は充実してるだろうね。でも、俺の知人の大部分は死んでいるし、実際、それが俺のハラカラなんだ。

人が大学を出るとすぐにも牢獄に閉じ込められて一日一日を塗りつぶすようなルーチン、一生続くかのようなルーチンに身を落とすことはぞっとすることだ。

仕事は楽しい、大好きだ、仕事はやりがいがある、生きる意味を与えてくれる、仕事は交友関係を広めてくれる、仕事は自分の価値を高めてくれる。

首ちょんぱしてやろうか。

本当の絶望に到達するのにも、いまは難しくなった、悲しむことは体力のいることだし、たっぷりの時間が必要だけど、その両方は、仕事で費やされてしまっている。

悲しむーーとは、ひとつの免疫反応で、外敵やストレスに対する防御なのだ。そうだから、必要量悲しむことができなければ、人は突如、内側から、修復不可能に破壊されてしまう。それが鬱病であり、自殺である。苦痛と不幸の違い。

幸福な国、悲しみのない国、テレビではだれもが笑っている、お笑いブームの明るい国、24時間笑顔のサイコパスが崇めたて祀られる国ではあるけれど、中央線は自殺の名所化している。

こっそりと死を選ぶ人の人生はステキだと思う。

トーベ・ヤンソンは無人の孤島に移り住んだ。それは二つの島に分かれていたから、万力島と呼ばれていた。彼女はそこで実に快適に暮らしたらしい。水はドラム缶に貯めた雨水で、電気はなくても、太陽光で……。


日本という国は、これは奴隷の国であると結論付けた。もう日本について考えることは、やめにしたいと思う。決定的だったのは、日本の公共工事のバカ高い費用、森林や河川を破壊しつくした公共工事の連続が、実はアメリカの要請によるものだと知ったことだ。結局、この国はアメリカをはじめとする諸外国の言いなりであって、官僚の愚昧とか、政治構造とか、大企業、大衆の痴愚を批判したところで、どうなるものでもない。彼らは主人面した奴隷であって、その意味では責任がないのだ。

私は主人を探し求めていたが、この国にはないようだった。さすがグローバル社会、ワンワールドの時代だ。

実のところ、今日も仕事なのだ。仕事、楽しい仕事。振り込まれる給料は、実はわずかだ。まだ新車が一台買えるだけの貯金もない。日本円の価値は、これからどんどん下がって行く。商品の価格はあがり、給料は下がっていくだろう。奴隷の奴隷の奴隷の奴隷ーーにふさわしい生活が待っている。



仕事は楽しい、大好きだ、仕事はやりがいがある、生きる意味を与えてくれる、仕事は交友関係を広めてくれる、仕事は自分の価値を高めてくれる。

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