7.27.2015

ROuku 労苦

人間が感じられることは、人間向きの情報でしかない。

そんな当たり前のことを、TEDで一生懸命プレゼンしている人がいた。

当たり前だ。我々は人間だ。我々が持っている五感は、我々の生存のためのものでしかない。

毒虫は醜く感じるし、花は美しく感じるものだ。海はどことなく母親のメタファーを与える。これは万人に共通の感覚だ。というのも、だれもが母親から生まれてきたからだ。

ところで、動物たちにとって海とはなんであるか。「これは地表の7割を埋め尽くす広大な水域だ」などと認識している動物はいない。あらゆる生命の根源であるという意識も及ばない。

動物たちにとって、海とは単なる広大な池、塩気の多い池なのかもしれない。実際、それで彼らには十分なのだ(ここで想定しているのは、草食の哺乳類動物である)。彼らにとっては、飲料水にも、水浴びにも、餌場にも適さない。苦労して渡った先に何かあるものでもない。

そうだから、動物たちにとって、海とは無なのかもしれない。それは、評価の対象になる以前のもの、表象として浮かび上がらないもの、無意識のプロセッサーにより削除処理が行われるもの。SFCのファイナルファンタジーで言えば、壁の向こうにある#000000の虚無空間。


このように、動物たちは海を正しく理解できない。しかし、人間は自分が地球という球体の惑星に住んでいることを知っているし、進化論的に考えれば、我々の遥かなる故郷であることを知っている。

ところで、というわけだ。我々は、たしかに海をこのように認識している。しかし、それは正しいのか?そもそも、進化論ってホントーなのか?

だれもがこれを正しいという。しかし、ここで言う「だれも」というのは、人間でしかない。ここでは、まったく別の認識を持つ、神とか宇宙人の出る幕はないのだ。われわれが、「普遍的」真理であるというとき、それは「ただし人間に限る」という担保を持っているわけだ。

人間だ。これを読んでいるお前も、私も、悲しいことに人間であって、それ以外である可能性は、Google Robotを除けばゼロだ。そうして、Google Robotという近未来的人物は、実のところ人間の認識以上を与えられておらず、それゆえに人間未満でしかない。

ロボットもまた、人間でしかなく、それは動物すら乗り越えられない。人間が動物を「包括」できたことはないからだ。ゴキブリや豚のような人間はたくさんいるが、彼らは実のところ、ゴキブリ以上の存在ではない。中途半端に人間で、中途半端に動物的であり、ゴキブリと呼ぶには不十分であり、かといって人間と呼ぶにも不十分なのである。そうだから、人間が作ったロボットは、つねに人間以下だし、動物以下なのだ。

我々に許されているのは、人間であるか、人間以下であるかということであって、だから我々が神の真似をして作ったロボットも、永遠に動物には勝てないし、人間に到達することもないのである。

だからこそ、我々には、神が必要なのだ。

神学と哲学は相反する。片方は人間の無力さを説き、片方は人間の可能性を(あくまで)信じるからである。私には、人間は、神という存在を信じるしかないという気がする。というのも、人間は、上に述べた認識からしても、不可能性によってがんじがらめになっているからだ。

私には、真実はやってこない……いつまで経ってもこない。明日も仕事が待っているからだ。私は生きねばならないのだ。私の貯蓄が百万円を突破したのだ。予想外の夏のボーナス。そうだから、真実がなんだ、ということは、数年は寝かせておかねばなるまい。

生活の必要が、私の正しい認識を阻むとしても、それはしょうがないことだ。私は人間であるのだから。人間であるということは、目の前のつまらない、くだらないことに、どうしようもなく鮮烈に悩み、苦しみ、そうして、自分が自分であることを呪い、悲しみ、涙を流し、拳を床に叩きつける、そういうことの連続だからだ。

私が浮遊し、飛び跳ねる、そういうときは、酒に酔ったときでしかないということは、寒々しいことだ。かといって、仕事から解放されたときに、酒を飲んで精神の解放を愉しむこと。これは人類普遍であるという気がする。

実に、人類普遍であるとされているものが、実際のところはただの為政者の都合に過ぎず、本当の人類の普遍性は、芸術の中にふんだんに隠されていることに、ひとびとに気づいて欲しいものだ。


私は、ただの、気味の悪い人間である。だれにも、共感されたことはない。孤独に生きることが義務付けられているかのようだ。私は幸福を得るためには高いコストを払わねばならず……そのため、不満足であることに慣れてしまった。


何を訴えたいのか、わからない。だれにもわからないだろう。だれにもわからないだろうことに、恍惚を感じることもある。もう、なんでもいいのだ。仕事は、全く進まない。もう、仕事とは、無縁に生きたいものだけど、労苦というものがぼくを活性化させる、そのことも知っている。やりきれない気分だ。従属と自由。まったくの自由になれば、人は人生の索莫さと戦わなければならなくなる。やりきれない。人間とは、まったくやりきれない存在になった。





1 件のコメント:

  1. 大丈夫だよ!時間という概念をなくし、時間軸に囚われない生き方をすれば、不安や恐怖もなくなるよ。アモンダワ族のように生きている人は日本にもいっぱいいる。「今」を生きるのだから、その日に食べれる分だけの労働をすればよい。奴隷から抜け出す勇気さえあれば、もっと面白く過ごせるよ。ちなみに「その日に食べれる分だけの労働」とは、誰かの(近所の人とか)お手伝いを1~3時間程度すること。あとは自由時間だよ。フローレンより

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