8.18.2015

雑記

何かしら打ち込むべき仕事を持たずに生きていくことは不幸である。

しかし、楽しい仕事、そんなものが世の中にあっただろうか。やりがいに満ちた仕事……。「私は、この仕事に満足している。定年まで続けたい。いや、死ぬまで続けたい」。そんな仕事があるものだろうか。

仕事がある種の義務である以上は、基本的には苦痛でしかないだろうとは思う。仕事とは、経営者でもない限り、主体的な行為ではない。労働監督者があり、その指示通りに動くことだ。このようなことに、喜びを見出すことは難しいだろう。

労働が短ければ、まだよかった。一日のうち数時間であれば、まだ我慢できる。これが、10時間とか、12時間になってしまった。労働は人々の生活を飲み込んでしまったから、単なる苦痛以上の役割を持たなければならなくなった。そうして、「やりがい」という不思議な概念が誕生したのである。

他の社会人と接する機会がまったくないので、他人の生活に想像が及ばない。大企業の社員とか、自営業の人間はそれなりに楽しいのかもしれない。

楽しさとはなんだろう。労働は退屈だ。一時間過ぎた…二時間過ぎた…八時間半…よし、退勤だ……。一日過ぎた…一週間過ぎた…よし、給料日だ……。

私は、労働が終わる時間と、給与がもらえる瞬間にしか喜びを感じない。そうであるなら、この仕事をしていることは、端的に言えば「金のため」であり、「しなくてよければ、しないで済ませたいもの」なのである。(しかし、そうでない人がどれだけいるだろう?)

日本人は実は仕事嫌いだ、という統計を見たことがある。まとまった金があればだれもが仕事を投げ出したいと思っている(私のように)。これは外国人から見れば奇異に見えるようである。しかし、あれだけ毎日職場に縛られていては、仕事嫌いになるのも当然ではないのか。西欧国のように、一日七時間労働で、一か月のバカンス付きであれば仕事をしてもいいとなるだろう。

疲れてしまった。

部屋をきれいにしておくことが、精神の均衡を保つ上で重要だと考える。インテリアに気を遣わなくてはならない。今は、ニトリの1000円のデスクでこれを打っているが……。これに慣れてはいけないだろう。こんなガラクタ。

毎日、少しずつの喜びを。

日本では、本物を得ることが難しい。ビールの偽物、チーズの偽物、ベーコンの偽物……。日本の大手メーカーが作ったチルドピザを、イタリア人に食べさせてみたいものだ。彼らはおそらく、日本人は、本当に豊かな国民なのか?これが本当にGDP世界三位の国なのか?と疑うだろう。

見るだけでも我慢ならない、プレハブのような住宅も……。わけのわからない税制によって生まれた、奇怪な車(軽自動車)も……。

この国が貧しくなっていることは疑いようがない。でも、この貧困の同調圧力から逃れなければならない。ニトリの家具を買って、しまむらの服を買って、軽自動車に乗って、雪印のチーズを食べて、すかすかで中身のないパンに、紙のように薄いポテチ、紙のように薄い食肉を食べ、第三のビールを飲む。これが典型的な日本人だろう。なんだか戦時中のようだ。「贅沢は敵」、というわけだ。

豊かに暮らす方法があるに違いない。少なくとも私だけでも、豊かに暮らさねばならない。本当の生を享受せねばならない、と思う。これは反体制的な生活である。ある隷属に対する、貧しさの同調圧力に対する抵抗である……。

ひとつ、財をなすということを目標に、がんばってみようと思う。私は仕事をしなければいけない、のではない。金を稼がなければならないのだ。金を稼いでしまえば、仕事をしなくても済むということだ。

1 件のコメント:

  1. あなたは写真を撮るセンスもあるので、たまには記事に載せてほしいな。フローレン

    返信削除