8.19.2015

マカダム工法

私の見るところ、いったん小事に関心を向ける習慣が身につくと、精神は永久に汚れてしまい、その結果、われわれのあらゆる思想は小事の色に染まることになる。われわれの知性そのものが、いわばマカダム工法で舗装される――つまり、知性の基盤が粉々に砕かれ、その上を旅の車が転がってゆく――ことになるわけだ。(「市民の反抗」ソロー)

許しがたく、甘っちょろい考えだ、と思う。金を稼ごうなどと……。すでに持っているものを、もっと増やそうなど考えることは、甘っちょろいことだ。これが金の恐ろしさなのかもしれない。ある程度裕福になってしまえば、もう金に取りつかれてしまう。

もっとも、自分が豊かなのかはわからない。たまには、学生時代によく経験したような空漠さに襲われることがある。ときには恐ろしい重力に押し潰され、ときには重力の不在により飛び回り傷つくときもあった。

今では、その反対の感情もある。というのは、自分の時間的・金銭的豊かさに満足するときもあるということだ。ついでに言えば、知的に満たされていること。自分の性質が固定化されてくること。言ってしまえば、成熟。社会的にはimmatureだが、immatureであるように成熟してしまった。

あらゆる教師の言うように、人間が変わることができるのは十代から、せいぜい二十代前半である。私は、二十代前半のときに自分が変わる経験をすることができた。これで、無知の輪廻のなかから、多少なりとも解放されたように思う。

今では、年を取ったので、もう十分生きた、という気がする。肌は乾燥し、髪は抜けてきた。私はある程度成熟して、自分の生活態度に幾ばくかの自信を持つことが可能になった。暗い嵐の時代は過ぎ去って、自分のどうしようもない所在なさ、暗闇のなかをどこに進んでいるのかわからない日々からは、抜け出したように思う。私はいまだに想い悩んでいるが、それは確信をもって思い悩んでいるのであり、何年か前にそうしたように、悩むことの正当性にも悩むようなあの恐ろしい連鎖に陥ることはなくなった。

自分は年齢の割にはひどく成熟していると思うときがある。内田樹のような「偉い先生」のブログの記事を読んで、こいつはバカだと思うこともある。その割には、未成熟である。つまり、仕事においてはバカのようなミスを繰り返すので、職場での信頼はゼロに近い。

私はもう、対人関係に悩むことはないだろうと思う。あらゆる人間は、私にとってどうでもいい。私は、ネットの世界が居心地いいと思う。一日数アクセスでも、こうして読者があって、私の私的な感嘆と、退屈なつぶやきが披露できるのであれば、それ以上望むべくもないと思う。人に認められようが、認められまいが、これはどうでもいい。書物を読み、こうして書く場があれば、この連鎖の媒介となることができれば、私個人の名誉とか、富といったものは、さほど関心のないことだ。

もしもネットがなかったら……。もしもネットがなかったら、と考えることは難しい。今Youtubeでサン・サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」のコンサート映像を見ながらこれを打っているが、そのようなことが可能であることが、ときどき理解できなくなる。その意味では、我々はどうしようもなく豊かである、と感じる。豊かすぎる。マイナーなアメリカのジャズ・プレイヤーのセッション動画も、ブルー・ノートのライブ映像も、プロ・プレイヤーのティーチング動画も、ただで、すぐに、鑑賞することができる。

我々が当たり前のように享受しているこの科学文明は、人類史500万年の中でもかつてありえないものだった。このような社会で、自分をどのように置けばよいのか。私はこうして科学文明の贅沢を享受しながらも、同時に古典作品に感激を得、数千年前の宗教奥義書に深く共感するのだから不思議だ。人間の生活は変わったが、人間は変わらないのかもしれない。芸術とは、その意味では永遠の価値を持つのだろう。
こうしてわれわれが、すでにみずからの神聖さを汚してしまったとすれば――汚さなかった者がいるだろうか?――それを救済する方法は、用心深く、献身的に、みずからの神聖さを取り戻し、ふたたび精神の神殿をうち建てることだろう。みずからの精神――つまりは自分自身――を扱うときには、自分が後見人となっている無邪気なあどけない子どもに接するときのようにし、その子どもの関心をどんな対象、どんな主題に向けるべきかについて、細心の注意を払わなくてはならない。(同上)

人間は、子どもであると同時に母親でなくてはならない。金を稼ごうなどと、つまらない企ては擲つことだろう。

2 件のコメント:

  1.  世界から切り離されたら、後は深淵の縁で立ちすくむしかない。しかし、深淵を覗かなければ真理には到達できない。どんなに弾圧されても嘲笑されてもそれが真理でないなら、真理ではない。科学は世界から未知なるものを、神聖なるものを解き明かす方法であったかもしれない。だが、それもまた、真理には届かない。逆にそれは人間を限られた袋小路に追いやるのかもしれない。

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  2. YouTubeも楽しいけどさ、ライブはもっとイイよね!フローレン

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