8.06.2015

乾燥した空気

天才の成立は乾燥した空気や澄み切った空を条件としている。
私はある自由な素質を持つ秀でた精神が、たまたま風土的なものに対する本能的鋭敏さを欠いていたというそれだけの理由で、狭量になり、卑屈になり、ただの専門家に成り下がり、気むずかし屋で終わってしまったケースを、目の当たりに見て知っている。(「この人を見よ」)
疲労で身体が起き上がらない。今週も、土曜日出勤がある。職場の先輩は、今年いっぱいで辞めてしまうらしい。この会社はどうなるのだろう。まあ、転職に抵抗はない。つぎは、北海道あたりへ行きたいと思う。乾燥した、大陸的な空気を味わいたいと思う。

その前に、海外旅行へ行こう、と思う、とりあえず、やっぱり、アジアになるのだろうか。あまり金がなくて、長期滞在となればアジアになる。でも、タイも、マレーシアも好景気だ。昔と違って円安だから、1.5倍くらい何もかもが高いことになる。

中国人は日本にきてあらゆるものを買いつくしているらしい。私もその感覚はわかる気がする。なんでも安ければ、日本にくるだろう。田舎の人々の憧れは銀座の高級ブティックではなくドン・キホーテである。この前楽器の部品を買おうとしたら、米国アマゾンより日本のアマゾンの方が安かった。たいてい、なんでも、日本の価格相場が高いので、これはショックだった。おそらく、日本の価格相場はもともと高いのだが、それを上回る円安効果ということだろう。

日本人はそうとう貧しくなってしまった。最近の軽自動車は、ほんとうに貧困の塊のように見える。いったい何が悲しくてあんな奇形のような車を買うのだろう。「大きいミニバン」とか、「広々とした軽自動車」のような得体の知れない奇形は、たしかに、国内市場をターゲットにするにはいいのだろう(外国では絶対に売れないから)。

同様のことが、チーズやビールに言えるのであって、第三のビールという「ビール風アルコール飲料」という謎の液体が売り上げを伸ばしている。子ども騙しのように小さくて不味いチーズがスーパーで売られている。牛肉や豚肉にしても、紙のように薄い。

これらすべては、市場原理が働いていないことに由来する。市場原理によれば、時代が進むにつれて、あらゆる商品が、改良、改善され、よりコストの低い、良い商品が、消費者に行きわたることになる。ところが、これが機能していない。ビールやチューハイは、びっくりするほど価格が横並びだ。結局、これは公共の精神の欠如ということで解決できるだろう。村の精神、公共の精神がある。日本人は前者しか持ち合わせていない、ということになる。

名目上は社会の根幹であるはずの法治の概念や公共の概念がまるで欠如しているのはおそらくそういう情操教育、二大洗脳装置(教育と洗脳の境界はあいまいだ)であるところの学校教育とマスメディアに原因があるのだろう。この国はひとつの村であり、近代国家以前の代物である。だれが見たってマスコミは既得権益の寡占事業だが、彼らは国民の情報統制という大切な仕事を授かっているのだから、いくらの無法も許されるのである。

同様に大企業たとえばキリンやアサヒ、トヨタやホンダ、東芝やシャープ、あるいは三井・三菱のような伝統的企業は、何をしても許されるのである。おそらくそれは単なる営利団体である以上の存在だからである。これは国体と言ってもいいかもしれない。(例えば警察や軍隊と同じような)国の肉体なのである。

公共の精神が欠如しているので、政治も、民間企業も、区別なく、ひとつの中心点に向かって動いている。それは一個のイデオロギーと呼ぶにはあまりに巨大である。その中枢概念によって、我々は動いている。中枢概念に近ければ近いほど、エリートであり、優秀者であり、生活の保障がされている。この中枢概念に遠ければ、奴隷の苦汁を舐めさせられる。低学歴、精神病者、地方居住者。そうだから、西洋的な三角形のモデルと日本は違うのである。日本は同心円状の支配構造なのだ。

というのは丸山真男のパクリなのでこれ以上はやめておく。西洋は論理の国であり、東洋は感情の国、ということだろう。

こういう国もあった、ということだ。こういう国もあって、私はしばらく住んでいた、ということだ。私は、この国を離れる必要を感じる。肌に合わないからだ。ただ、何度も書いている通り、西洋国で私が安住できるかといえば、それは不可能だろう。私は、国家自体に、肌が合わないのだ。ただ、濃密なムードによる支配よりは、明文化された論理や法律の方が、まだ回避がしやすいと感じる。

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