8.07.2015

immature amateur

どんなところに行っても、私は環境に馴染めない。どんなところに行っても、他者は私を阻害する。

この原因を考えてみると、自分が無能だから、何も為せないのだろうと思う。最近は、一人称を「ぼく」から「私」に変えて、ちょっと偉そうにしてみたが、結局のところ、何もなせない無能であることに、変わりはないようだ。

私は大学において授業を受けることを拒み、会社にて働くことを拒んでいる。というのも、勉強にそこまで価値を見いだせなかったということもあるし、働くことは実際、つまらないからだ。それでも社会的要請でしかたなく働いている。私はどうしようもなく未成熟である。

成熟した人間の思考が、わからない。彼らにとって働くことはそんなに魅力なのだろうか。いいや、そういうわけではない。働くのは嫌だが、働く。だから彼らは成熟しているのだ。私は、働くのが嫌だから、つまらない仕事は、なるべくしたくないと思っている。だから、未成熟なのだ。

私は、自分が、ある種の適応障害という気がしている。「適応障害」と自分の精神に烙印を押せば、これで完結する。マージナル・マンとか、かっこつけた名称はいらない。私は、神経症で、軽度の躁鬱で、適応障害である。これで、私の精神を説明することができる。

やる気とか、熱意は、いったい何なのだろう。そのような、抽象概念は、私にはなかった。私には、熱意がない。がんばろうという気になれない。つねに、休息を求めている。私は自分の自由にできる時間が欲しいと思う。金銭、地位も最低限あればよいのだ。

がむしゃらに働く、そういうことに喜びを見いだせるのであればよいと思う。大学生のときは、何時間でも楽器を練習していた。それで、私は自分に熱意があると感じた。しかし、楽器も、上手な後輩が入ってからはやる気がなくなった。今では、文章家になるんだ、とか、世界旅行をするんだ、ということが目標になっているが、かといって何をしているわけでもない。

確かに、毎日こういった文章を綴れる以上は、多少は文章業に向いているのかもしれないが、楽器と同じように、他者との関わりを拒絶しているから、独りよがりの、未熟なものにならざるを得ない。未熟であることが、私を説明する一語である。

成熟した、大人になりたいと思う。いや、なりたいとは思わない。どちらなのだろう。いずれにせよ、私は、未成熟な薄い肌をもってして、この世を渡るしかないという気がしている。自分は変えられないのだから。私は、他者から糾弾され、嫌悪と軽蔑の眼差しを受けながらも、一人で、自分の足をもってして、歩むしかないという気がしている。


2 件のコメント:

  1. ずっと未成熟のままでオリジナルな生き方をすればいいじゃない。自分の感覚を信じて、思うがままに生きる。身体が休息を求めてるなら(第六感)、それに従う。人間なんかより、自然や動物に学ぶといいよ。フローレン

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  2.  成熟した大人は、地震があろうと、火山が噴火しようと仕事にかじりつき、自分の不安やストレスを自分より立場の弱い人間にぶつけるか、酒や薬に溺れ、自分はこの仕事をやらせて頂いていて感謝してますというマインドを常に持ち、世間や家族からの批判の目にさらされながら、少ないお小遣いで細々と食いつなぐことですよね。

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