8.14.2015

世界の境界

お盆休みというのを貰ったが、とくに実家に帰ろうという気もなく、本と、音楽でもって、過ごしている。

お盆休みとは、なんなのだろうと思う。キリスト者とか、ムスリムの人はどう思っているのだろう。日本人の「世間」においては、そのような人間はいないと思われているのかもしれない。あるいは、当のキリスト者たちも、お盆休みの概念を受け入れているのかもしれない。

阿部謹也という、一橋大学の学長だった人のドイツでのエピソードがおもしろかった。彼がドイツ人学者と宗教観について話しているときに、輪廻転生の話になった。すると、突然学者の妻が、話に割って入った。「私は輪廻転生は、あると思うんです」と。彼女はキリスト者だから、信仰とは矛盾するはずだった。それでも彼女は輪廻転生はあるのだ、と言って譲らず、しまいには顔を赤くして泣き出してしまった。あとで聞くところによれば、彼女(と学者)の娘は重度の障害を抱えていて、その人生はあまりに過酷だった。だから、来世ではまともな人間として、幸福に生きていけることが可能だ、と彼女は信じているのだという。

輪廻転生、循環の世界だ。よく知られているように、輪廻転生とは、仏教では悟りを開いて解脱すべきものだが、その価値観がキリスト者の救いになることもあるのだ。

昨日はYoutubeでゲームの実況動画を見ていた。ガイジンさんの動画。アメリカ人ではなかったと思う。最近では、自分でゲームをするということはしなくなったが、その代わり他人のプレイ動画を見るようになった。まあ、単純に孤独が薄れるということもある。私のこのような習性は、下劣だと思うが、しかし、ネットでの人との繋がり(このブログを含めて)がなくなれば、私は潰れてしまうだろうと思う。このような繋がりがあるから、だれも知人のいない田舎へ行くことができるのだし、ついには外国に行こうとなっても、完全な孤独は避けることができる。サルトルの言ったような、「孤独のアマチュア」。偽の隠遁なのだ。しかしまあ、完全な隠遁など達成できるものだろうか。一度この繋がりを知った上で。トーベ・ヤンソンの離島暮らしには憧れるが、「インターネット」という繋がりから私は離れられそうにない。なにしろ十余年、この繋がりと付き合ってきたのだ。

話が飛んだが、ガイジンの実況動画は、私の西洋への憧憬を打ち砕いてくれたように思う。軽薄で、露骨な感情表現、明文化されすぎていてつまらないユーモア。いちおう、サウス・パークでパロられるくらい人気のある動画なのだが。酒を飲みながら見ていたが、鼻白んですぐ消してしまった。日本の実況動画の、アットホームな感じ、雑多で、センスのない、じめじめした感じも、悪いものではないと思う。とにかく、英語を聞くことは脳が活性化してよいと感じる。外国語は、たまに聞くといい。

このような私事ばかり書いている。最近はこのブログのアクセス数が落ちてきているので、それはそれで快適に書くことができる。何か気張った感じで、肩肘張らせて書くのはしんどい。一円にもなりはしないのだ。

「幻の桜」で検索してくる人が多い。それほど、あのブログは記述されないのだろう。だから、あんなつまらない記事が検索で上位にくる。彼女はあらゆることを記述するが、彼女はあらゆる人間から記述されないのである。彼女もまた境界人のひとりである。つまり、現代における呪術師であり、預言者ということになる。前にも述べたことだが、近代以前にはこうした人間はある程度崇拝されていた。だが、現在の彼女のアパートや、生活状況が示すとおり、彼女はあれだけの才能がありながら、表舞台からは排除され、細々と暮らしている。

阿部謹也いわく、中世以前においては世界はふたつの領域をもっていた。卑近の世界であるミクロコスモスと、人間が到達することのできない未知の世界であるマクロコスモスである。例えばある農村があるとする。その村の農民にとっては、村の垣根の内側がミクロコスモスであり、外側の森や山などはマクロコスモスの世界だった。ひとびとは、マクロコスモスを畏れ敬った。そこは、人間の世界ではなかったから、したがって、神々や、魑魅魍魎の世界だった。これがあらゆる文明に見られたアニミズムだった。

ところが、キリスト教価値観は違った。キリスト教において、自然は人間のために神が用意したものなのである。だから、マクロコスモスなどというものは存在しない。人間はあらゆる自然を利用することができる。このような価値観が、科学の発展を生んだ。そうして、我々が科学の利益を享受するとき、このマクロコスモスの消滅も同時に輸入するのである。

だから、西洋文明が科学技術とともに再び華やいだ近代以降、呪術や巫女といったものの地位は急激に落ちた。なぜなら、科学はマクロコスモスの不在をまざまざと提示し、それを迷妄だと切り捨てたからだ。雷は空の雷雲内に電位差が生じた場合の放電であって、神の怒りではないのである。そうして呪術師や預言者の役割とは、マクロコスモスとミクロコスモスを行き来することだったのだから、その「境界」がなくなってしまい、世界がひとつとなってしまえば、彼らはおまんま食い上げということになるのである。

それがために、この科学が侵犯した「ひとつの世界」においては、狂気と理性を行き来する精神病者は牢獄のなかに閉じ込められることになる。あるいは、社会構造から排斥されることになる。狂人の声にはだれも耳を貸さなくなる。話がだいぶ飛躍してしまった、上の事柄は必ずしも阿部が述べたことではないのだが、MAHAOという人物も、まあそういった境界に位置する人間なのだと私は思っている。

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