9.02.2015

a day

このままでは終われない――というふうにして、人は名誉に駆り立てられる。ある集団の中の、栄えある個人として、崇め奉られることを志向する。

生の余剰が彼をそうさせる。生の余剰とは、ただ生きて、ただ死ぬことを然りとせぬ、そのような精神だろう。

明日死ぬと思えば、今日のような生活はしないだろう。そのように死を見つめて生きることは可能だ。しかし、空ばかり見ていても人間は転んでしまう。確かなまなざしが必要だ。地でも空でもなく、前を見なければならない。

生が仕事によって切り離される。だれかに対する奉仕が日常に置き換わる。だれかに時間を与えることに慣れると、自分に時間を与えることを忘れてしまう。自分に奉仕することを忘れてしまう。

第一命題。この生は何のためにあるか。第二命題。神はどこにあるか。

私の下腹部事情

下腹部に肉がついてきて、これが私の精神に変化を及ぼしている。少し日常に対する防御壁が作られたようだ。

私の神経症も、肥満体になってしまえばそれで終わるように思う。それだけのことだ。ただ、私は自分が太っていることに耐えられないだろうし、また私の遺伝的性質として、脂肪がつきづらい。

精神は肉体と切り離せるものではない。ある臓器を移植したら、レシピエントの人格が変わってしまった……というようなことを、昔テレビでやっていた。これは当たり前ではないのか?ひとは知らず知らずのうちに、”頭脳”だけが人格だと勝手に思い込んでいる。

人体において神経叢が集まった器官は脳や脊髄、眼球以外にもある。それは腸である。私は、日本人が下腹部(丹田)に魂を認めたことは必ずしも誤りではないと思う。

たとえば精神的抑圧下で、容易に便秘・下痢などの消化器障害が現れるのは、精神作用と腸に深い関係があることの表れである。

そういうわけだから、私の下腹部の脂肪組織が、腸における”思考”に影響を与えているらしい、ということを考える。人は老いるにつれ、丸くなる。そうして人は老いるたびに体脂肪が増えてゆく。

私がここで訴えたいことは、人間の精神なんてその程度のものだということだ。おそらく、宮沢賢治の下腹部の脂肪組織があと2cm厚ければ、彼の作品は生まれなかっただろう。あるいは、同等の作品は生まれなかっただろうと思う。

くだらないことを書いたが今日も仕事だ。



……そして今帰宅した。

投稿しようか迷っていたら時間がなくなってしまった。

今日の仕事はつらいものだった。私はずっと、考えていた。

私が嫌いなことは、私が自然であることを阻害するものなのだと。私を不自然に歪めてしまうすべてのものを、私は憎悪するわけだ。

自然であることが生きることであるのに、永遠に生きないまま死んでしまう人も、ままいる。何が歪めてしまうのか。何が彼を変えるのか。何が彼を殺すのか。何が彼の精神を、灰色の牢に閉じ込めるのか。

私にさまざまな形で仕掛けられる攻撃を、よく見極めなければならない。何気なく人が発した言葉が、そうした攻撃であったりする。善意の形をとる町内放送が、私を支配しようとするノイズであることもある(なお、私の精神統合は失調していない)。
人間を管理あるいは支配するために、一番重要な手段は、当時は文字ではなかったのです。・・・普通の人々は文字が読めませんから・・・そこで音というのがひとつの大きな文明化の手段になります。・・・音楽は、言葉とか概念を用いずに人々に訴えることができる、非常に重要な統治の手段だったわけです。(「ヨーロッパを読む」安部謹也)
支配としての音。文字の歴史と、音の歴史。今に残るは文字の歴史、音の統治する文明は「記述されなかった歴史」。あるいは、今も未来も十分に記述されないのかもしれない。

歴史の表と裏。「あらゆる芸術は音楽を志向する」。

私は、自然でありたいと願う。私は神経質であるから、自分が歪められていることに耐えられない。私は、人間でありたいと思う。人間として生きたいと思う。

そのためには、どうすればよいのか?


……そして今目覚めた。

相変わらず、仕事が嫌でたまらないし、この地域の人々も、私は嫌いになってきた。この地域は好きだけど、人は嫌いだ。もっとも、私が好きであれた人など、ほとんどいない。はじめ好きな人でも、知っていくうちに嫌いになっていく。

休みが欲しい。水曜日だ。頭をまた、ゼロにしなければならない。思考も感動もない9時間を過ごさねばならない。

1 件のコメント:

  1. 真剣に人を好きになるなんて難しいから、「好きでもないが嫌いでもない人」が数人いればいいと思う。
    あ、時間が足りないだろうけど睡眠だけはしっかりとね。フローレン

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