9.15.2015

作品を創る

という計画を立ててみても、いろいろな困難がある。ひとつに私の文章は癖がありすぎるようだ。語彙が貧弱というか、変なところで難しい言葉を使いたがるし、文章構成としても、論理的に筋が通っているわけではない。また、文章が単調で変化に乏しい。

意欲としても、難しい。何か作品を作ることは、大変な根気を強いられる。例えばこういう散文ならいいのである。30分か、1時間くらいでさっさと書いてしまえる。書いたあとは、何も反省しないでいい。書いて、ほったらかして、そのまま。

だけれども、何日もかけてたとえば長編小説を書こうとなると、途端に困難になる。昔、へんちくりんな短編をいくつか書いたけれども、それですら3,4時間程度で書き上げたものだった。

だいたい、今の時代に長編小説など、だれが読むのだろう?という気がする。文壇という特殊な世界があるけれども、私はまるで興味がない。現在の日本の小説なども、ほとんどまったく読む気がしない。アクタガワshowだのナオキshowにも興味が……。

そういうわけで、この日本で小説を書くことは困難な仕事であると思うけど、これだけ文化的な退廃で覆われている国だからこそ、そこで成功することは容易なのかもしれない。

それで、どういう風に創作すればいいのか考えているのだが、これはもう、とりあえず書き始めること、「気づいたら始まっていた」という体で、セッションに飛び込むように、もう渦中にあると考えて、自己や意志を極力排し、流れるままに書く、というような感じがいいと思った。構成だの、プロットは、私には高度すぎるというわけだ。

これは朝の仕事というよりも、夜の仕事になるだろう。私はブログをたいてい朝に書いている、それは考えることを整理するのにもっとも有利な時間だからだ。というか、寝ている間に”整理されている”のであって、あとはそれを記述するだけで十分なのだ。

しかし朝は、時間がないのが常である。いい感じにノってきて、仕事の時間だ、というのは不快だ。まあ、仕事が終わったあとの何時間かを、この計画に費やしてみようと思う。

「計画project」というと大仰だが、なんだかわくわくする感じはする。

あとは、私の技術の問題になる。このブログで、3年間、うだうだと物を書いてきた。私なりの文体も定まってきているのだろうが、これを健常的な世界にうまく擦り合わせなければならない。いわば、私は狂気の世界から還ってきたのだから、そこから広く大衆に訴えかけるようにならなければならない。このことこそ、私が注意しなければならない点である。

狂気の蓄えはもう十分あるのだから、これを翻訳して、提示することに努めなければならない。意味不明な言語の羅列、ポエジーに浸ってはならないわけだ。

まあ、技術的なことよりも、とにかく書き上げて、それから吟味するのでもよいのだろう。上手だが、魅力ない作品、殻だけで実がないような作品こそ、もっとも不快なものだ。きれいに磨かれた殻がなくても、しっかりとした実があれば、それはそれで良い作品といえるだろう。

1 件のコメント:

  1. ただ表現したいのか?成功したいのか?によって必要なものが全然違ってくる。成功が目的であれば、広く大衆に訴えかけたいのであれば、「狂気の蓄え」は必要なかったりする。素直に表現して、たまたま成功する者もあるが、でもそれはほんのひと握り。「成功」したいのなら、ある程度万人受けするような技術と努力が必要でしょう。結果、自分を歪めることになるかもしれないけどね。フローレン

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