9.28.2015

知とは何か

しかしまあ自分の存在のくだらなさについては自分で嫌というほどわかっている。

最近酒量が多くなってどうも頭がぼんやりするようだ、孤独に、酒ばかり飲んでいる生活は間違っている。そのことはなんとなくわかるにせよ、それでは理想的な生活とはどういったものなのか、がわからない。

生きることが苦手であるために、生きることについて考えなければならない。生きることに長けている私の真逆の人びとは、実に幸福そうに、疑問を持たず生きている。

あのような人々を見ていると、本当に「一切皆苦」は正しいのだろうかと私は疑問に思う。哲学や宗教の救いを希求する人は、明らかに不幸だ。しかし、そういった世界に対する理解が不要な人がいる。彼らはいつ苦しんでいるのか。

人間が認識を深めるにつれ、人間はより一層の不幸に陥るもののようだ。それでは知とは何のためにあるのか?一切が苦痛だと知り、「何も望まない」ことを学習するためだろうか。それとも、アポロン的な不幸の束縛を離れ、ディオニュソス的な陶酔に身を任せるためだろうか。

最近フーコーを読んでいるけども、知とは何か?という疑問については、フーコーほど優れた考察をしている哲学者もいないと思う。まだ断片的にしか彼の思想は理解できていないが……。もう少し読書を続けてみようと思う。

1 件のコメント:

  1. 量を加減しなきゃ、アル中になったら悲惨だよ。身体は大切に!フローレン

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