9.17.2015

zack

季節の変化のせいかもしれないが、ここのところ体調が悪い。仕事に身が入らないというわけだ。この感覚は入社直後にも感じていたことで、頭のはたらきが鈍く、恒常的に休息を求めている。

それでも仕事を始めたときに比べれば生活はずいぶんと楽になった。私は労働を拒絶することはやめた。

児童に車のおもちゃを与えると、それを走らせる。人形のおもちゃを与えると、それを整列させる。児童は別に、金銭の目的があるわけではない。それで親に褒められたいというわけではない。彼は、いわば労作の本能によってそれを行っている。

私が仕事に向かうモチベーションもそれに類することだ。人間は性欲や食欲だけでなく、作業への欲求も持っている。このことを西洋人たちが見逃していたことは不思議なことだ。おそらく、西洋人は”欲”にネガティブなイメージを持っていたのだろう。

人間の到達せる究極的な状態は、西洋も東洋も無欲である。貪欲は固く禁じられている。

ところで東洋はといえば、
かく、われにより、そなたには、秘中の秘なる知識語られたり。隈なく、それを反芻熟慮して、欲するがままになせ。
とギーターにあるように、正しき智慧と、正しき行為が重要になる。正しい智慧を与えられ、それを吟味し、最終的には没我的に欲するまま行動することが求められるというわけだ。東洋では根本的に人間に信頼がおかれており、迷妄を払ってしまえば正しい行為に到達できる、という点が西洋との違いと言えるだろう。

この西洋・東洋の根本的な違いは、西洋においては人間が決して到達できない「絶対神」を信仰しているのに対し、東洋はあまねく神が遍満している、ゆえに自己それ自身が神である(梵我一如:我はそれ=梵なり)という対比から来ているのだろう。

もっともこうした対比は簡単にはできないのだろうけど。

書いたあとで、いろいろ調べてみると、上のような考察は、大変幼稚であると思う。子どもの思い付き程度のことだ。

もっと知識を身につけたいと思って、いろいろ本は買ってあるのだけど、読む時間がほとんどない。悲しいことだと思う。日常のルーチンが、時間を奪う。絶対の時間が損なわれてゆく。労働は、ある程度私を喜ばせるけれども、それでもその時間が長すぎる、と思う。

仕事を辞めて、しばらく語学と読書の生活をして、それから海外放浪に出てみたい、と思う。それだけの金は、とりあえず貯めておきたいものだ。

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