10.15.2015

雑記

なにも為せず終わりそうな人生である。

この年齢にもなれば人生のいろいろなことにあきらめをつけて行かなければいけないのかもしれない。

私の友人は、それなりに楽しくやっているようである。やはり田舎での生活が不味かった?私は都会の生活において、自分は孤独だと感じていたが、それなりに人間との関わりはあったし、そこで影響を受けることもあった。

今この田舎に住んでいて、私が影響を受けることができる人間は、ネットの誰かだったり、書籍だったりするのだけど、そういう情報というのは、私を見ているわけではない。私は広範な「視聴者」「visitor」「読者」のなかのひとりである。

そして、私が個人的に影響を受けるような人間は、現実生活ではほとんどいない。私が心を閉ざしているだけなのかもしれないが、それにしても、田舎の人々はあまり興味を引かない。みな一様であるように思える。

私を引っ張り上げて、叩きなおしてくれる人間を望むことがある。人間、孤独にあって真理をつかむことは難しい。ほんとうの真理というのは、一般に認識されるものではないからだ。プレゼンだの、書籍だの、テレビだので開陳されることは稀だし、開陳されているとしても、人々にそれは認識できない。それは実際、「秘伝」なのである。見込みのある弟子にだけ伝えられるものだ。

私は、そういう意味での「師匠」なんてものはないし、これから得られる見込みもないから、ひどいハンディを抱えている。私が影響を受けた人物というのは、あるとすればニーチェとか、ヴェイユということになる。ふつうの人は、「父親」とか、「サークルの先輩」とか、「会社の上司」と答えることだろう。ただ私には故人との希薄な繋がりしかないのである。

田舎のすばらしいところがあるとすれば、それは人間ではなく、自然だろう。バイクでトコトコと走っていると、海、山、川、はっとするような美しい情景が眼前に広がることがある。これは少しの救いである。

私は、世間での成功とか、失敗とか、そういうものから離れて、私独自の価値観を身につけなければいけないのかもしれない。それは、人々の間で見つけられるものでなく、私と、自然との関係において見つけられる気がする。

2 件のコメント:

  1.  天才とは心に常に不安定な自己を抱えているのではないかと思います。例えばオウム真理教の幹部連中は軒並み超高学歴だった。心に何か満たされないものや不適応感があり、孤独にならざるを得ないため、各々が強くあるために、知識や神を手に入れようとするのではないかと思います。確固たる何かが欲しいためにそれに変わる何かを得ようとするのではないでしょうか。

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  2. あなたの能力を最大限に活かすためにも、ある程度は人間とかかわった方がいいと思う。くすぶっていてはもったいない。自信を持って!フローレン

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