10.20.2015

ジジェクを読んでいる

私はオタク趣味がなぜ嫌いなのか?という点については一日仕事をしている間考えたがどうもわからなかった。

ジジェクを相変わらず読んでいる。マルクスとフロイトの共通項について述べているが私はマルクスをまともに読んだことがないので困っている。しかしマルクスは意外と先進的なことを述べているように思う。

私が近頃興味を持っているテーマは「支配と従属」なのだがそれに関する記述もあった。

我々の社会は「自由」と「平等」の社会である。我々個人は主従関係を持たないし、主体的な個として切り離されている。我々は功利的に振る舞う。メリットのない関係には従属しない。会社が嫌であれば退職し、パートナーが嫌であれば離婚する。そういう自由が我々にはある。

旧来私たちの社会とは永く封建社会であった。それは支配と従属の世界であった。人と人との間には明確な上下関係があった。そういう時代は、過去のものになったのだろうか?

そうではない、とマルクスは言ったわけだ。我々の社会は、人間関係においては主従の関係はなくなったが、その代わりに物と物の間に投影されている、と。これが物神化である。不思議なことに、我々が個人として平等になるにつれ、モノに対する執着、物神崇拝が強化されているのである。(生半可な知識だからたぶん間違っている。)



この感覚は、最近「論語」を読んでいて感じたことでもある。私が感じたのは、孔子は(老子などと違い)処世的な哲学が多いということである。論語は師や親に対する忠誠というか、忠孝の概念をいかにこなすか、という点に力点が置かれているのである。

私は、孔子がもし現代の西洋国や日本に生まれていたら、忠孝などに目もくれず、「いかに快楽を得るか」、「いかに富を得るか」ということを考えていたと思う。

現代における「富を得ること」も、封建社会における「忠誠を尽くす」ことも、どちらも「幸福の追及」ということは変わらない。ただ、物神崇拝の社会においては「富」や「快楽」が重要になるのだろう。



私は封建社会にノスタルジーを感じることがある。案外、日本の軍隊主義とか、集団主義、体育会系のあの関係は、悪いものではないという気がする。ブラック企業は例えば、封建主義的である。パワハラをかけてくる上司は、その暴力や人権侵害によって神格化される。

私は、日本に我慢ならないこともあるが、少しこの国を認めるようになってきた。日本という国は、西洋合理主義の強力な影響力に対抗しようと努力している国家なのではないか。

だから、私は日本の不合理な部分、わけのわからない部分も、受け止めて消化しようという気になった。私にとって理解できない「一般の日本人」の方々についても、なるべく理解しようと思うようになった。

日本での生活がストレスフルなのは相変わらずだ。しかし、私のなかで、西洋思想に対する信奉が消えつつある。そうだから、どこか理想的な思想を求めている。ひとまず、ジジェクはおもしろい思想家なのでもう少し読みたい。

#2chのジジェクスレを見たら、「現代思想界のオワコン」とあって笑った。「ジジェクはインチキ臭い」とも。たしかにけっこう胡散臭い人物だと思う。

1 件のコメント:

  1.  体育会系や軍国主義や上下関係や儒教思想などは、統制や秩序を徹底し、自己目的ではなく他者利益のために、もっと言えば君主や国家の利益のために自己の能力を発揮させるように仕向けるシステムであったと思う。
     そのシステムの構造は、自由や個性を重んじる現代にあっては抑圧と隷従の象徴であるが、一方で懐古的な層からは、礼節と尊厳や伝統を重んじる社会であったという見解もあるだろう。
     そもそも「平和」と「自由」とは共存しうる思想なのかというのは大変疑問であり、「自由」になった結果、各々が自己目的に邁進し「富」や「快楽」を追求するようになった場合、「平和」を維持するために「妥協」したり「献身」したりすることができるのだろうか。そもそも「社会主義」が破たんしたのは、「秩序」と「自由」を両立させようとした結果なのではないか、と考えたりもする。

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