10.23.2015

イデオロギーと生存欲求

私が前回述べたようなことは、一般的なイデオロギーの意味とは違うのかもしれない。私は「生存欲求による認識の歪曲される過程」というような形で、イデオロギーという言葉を使ったが、wikipediaの定義を見ると少しずれがある。

つまり、「イデオロギーは偏った考え方であり、何らかの先入観を含む」という定義には合致しているのだが、「闘争的な観念である」「イデオロギーは極めて政治的である」という点については考慮に入れてなかった。

私の考えるイデオロギーとは、政治とか社会という概念ではなく、もっと生理学的・心理学的な視点であった。

風呂に入りながらニーチェを読んでいたら、ちょうどそれらしい発言があった。

「はげしい欲望を持つ世界意志は、事物の上にまぼろしをひろげてその被造物を生につなぎとめ、そしてうむをいわせず生き続けさせるための手段をいつでも見つけてくる。これこそ永遠にかわらぬ現象である(「悲劇の誕生」より)」

さっすが心理学者ニーチェ様だ。しかしこれって「意志と表象としての...」と何が違うんだろう。そして、イデオロギーとの違いとは?

イデオロギーとは、結局われわれが生存への意志が生む誤謬であり、それは脳機能によるものかはわからないが、アルチュセールよりも前にニーチェやショーペンハウエルがすでに指摘していたのかもしれない。アルチュセールは教育とか政治のような社会的(国家的)装置にそのイデオロギーを見つけだしただけか?

もっともニーチェも教育においてソクラテス的な楽観主義が跋扈している!と指摘しているわけで、アルチュセールのした仕事って何だろうと思うときもある。

根源としては誤謬の生まれる原因が生存欲求であることは変わらない気がする。

ex 1.  ストックホルム症候群(誘拐されてしばらくすると、犯人に好意や賛同を持ってしまう)
ex 2. 強姦される女性は、生存の危機に晒されると、その暴行に快感を得てしまう(これがPTSDの原因となる例はある)

上記の例は、人間の認識がいかに生存欲求に歪められるかということを、とてもよく示している。

そうだから、我々の立場はつねに誘拐の被害者と変わるところはないのかもしれない。

我々が「好む」ものとは、ニーチェの言ったように「生き続けるための手段」でしかない。それはジャズよりもクラシックが好きだとか、会社で働くことが好きだとか、あの人は嫌いだというような好悪の感情にも働いているし、「私はかく思う」という言説、根源的にはあるものに対する「認識そのもの」にも働いているのだろう。

結局のところ、我々は動物なのであり、つねに生存に向かう仕事に追われているのだから、「真理を見つけだす自由」などもっていないのだ。もし真理に近づきたいと思うなら、仏僧のように厳しい修行を重ねるか、ヒッピーのように薬で脳を痺れさせるしかないだろう。

ちなみにニーチェの上の発言は、

「あるひとは、ソクラテス的快感のとりこになり、認識によれば生存の永遠の傷もなおせるという妄想によって縛り付けられている。」

と続いて、ソクラテス(あるいはもっと前――ピュタゴラスやヘラクレイトス)から続く「論理的思考」を批判している。それは結局迷妄、楽観主義でしかないと。

私が最近、西洋合理主義から離れていこうというのも、こうしたニーチェの批判と同様のものである。「結局、論理って絶対的なものじゃないよね」「論理もイデオロギーのひとつ」という相対主義的な帰結に至った。

相対主義は、実感として宙ぶらりんでつらいものである。こういう状態から、「楽になろうと」ある真理や、確信に落ち込むことは容易に想像できるものだ。

今日はもう会社に行くのでこれまで。

1 件のコメント:

  1.  「我、思う、故に我在り」なのか。「我、在る、故に我思う」なのかということですが、存在論や認識論の歴史においてはまず、神や自然、イデアといった我々の認識の上に立つ本質的存在及び認識を規定する存在がいて、それによって私たちが様々な事象を認識できるというもののようですが、その根源的存在である「神」は一体どうやって生まれ、またどのように認識をしているのか。というマトリョーシカのような問題に到達し、「本質的存在」は無く、「認識するからこそそれが存在しうる」という方向へ向かっているのではないか、と思いました。
     ただ、その場合世界という事象はそもそもどうして規定事項として存在し、私たちがそれを見つけ認識しだすのかということが疑問として残るのと、それらの行為が進んでいく過程において、不可逆性をもつ「時間」という事象が存在しますが、「時間」という事象も「認識」しなければ存在しないのであれば、最初の「世界」という事象を認識する過程までの流れをどう説明するのか。という点が疑問でした。人間の「脳」というのは、黒崎さんもおっしゃるように非常にいいかげんなものであり、そこにそもそも色々な根源的な疑問を解決させようとするのが間違っているのかもしれませんね。そもそも、なぜ人間だけがこのような不可思議な思考回路を持っているのか、他の生物にとって生存とはどのような意味づけのある行為なのか。そして人間の未来はどうなってしまうのか。と考えてしまいます。

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